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鶴首城

鶴首城(備中国/岡山県)

鶴首城は備中の戦国大名・三村氏の本拠城である。三村氏当主の家親は天文年間に鶴首城を拡張し、安芸の毛利氏と同盟を組み勢力を広げた。永禄四年(1561)には備中松山城を落とし本拠を移転させ、鶴首城主には家親の弟・親成が任じられた。
家親は永禄九年(1566)に当時毛利・三村両氏と敵対していた宇喜多直家によって暗殺され、子の元親が家督を継いだ。このような経緯から三村氏と宇喜多氏は仇敵の間柄であったが、天正二年(1574)に毛利氏と宇喜多氏が同盟を結んだため、三村元親は畿内に勢力を伸ばす織田氏と同盟を組んだ。鶴首城主の三村親成はこれに反対し、毛利氏に降伏した。
三村元親は西の毛利氏と東の宇喜多氏に挟撃され、翌天正三年に備中松山城が陥落し自害した。鶴首城にはなおも毛利方についた三村親成が在城した。関ヶ原合戦では毛利氏の西軍は敗北し、元宇喜多家家臣の岡家俊が鶴首城主となった。その岡家俊も大坂の陣で子が大坂城方に味方した罪で改易された。
その後、元和三年(1617)に山崎家治が入封し成羽藩を立藩するが、その手腕を買われ寛永16年(1639)に天草の乱で荒廃した肥後富岡へ転封された。代わりに水谷勝隆が入封するも間もなく備中松山に転じた。万治元年(1658)には山崎家治の二男・豊治が成羽藩主として入封し、山崎氏は幕末まで藩主を務めた。

(2011/5/1 作成)



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