日本の城写真集

日本の城写真集

浦城

(出羽国(羽後)/秋田県)

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見どころ紹介

浦城は八郎潟の東方に位置し、当地は湊安東氏の勢力下にあった。永禄10年(1567)頃から湊安東氏に仕えた三浦盛永が城主をつとめた。三浦氏の出自は上野の三浦和田氏や、あるいは甲斐の国人と言われる。
天正16年(1584)の湊合戦の際に三浦盛永は湊安東氏(安東道季)側についた。最初は優勢に戦を進め檜山安東氏(安東実季)の檜山城を包囲するなどしたが、やがて劣勢となり、浦城も攻撃を受け落城した。
城は整備され、見張り台などの設備や柵が設けられており、見学しやすい。

浦城は八郎潟の東方に位置し、当地は湊安東氏の勢力下にあった。永禄10年頃から湊安東氏に仕えた三浦盛永が城主をつとめた。天正16年の湊合戦の際に三浦盛永は湊安東氏側についた。最初は優勢に戦を進めたが、やがて劣勢となり、浦城も攻撃を受け落城した。城は整備され、見張り台などの設備や柵が設けられており、見学しやすい。

(2012/9/19 作成)

公式動画チャンネル

見どころ

登城路

登城路

見張台。見張台からは八郎潟が見える

屋敷跡

屋敷跡

堀切。城は高岳山に連なるため、城域と山を区切る薬研堀を設け防衛線とした。

叢雲の滝

叢雲の滝

城内にはこの滝から水が引き込まれていた。三浦盛永は落城の際この滝で自刃したとも。城のある高岳山は仏教の聖地で、滝の岩盤には不動明王の梵字が刻み込まれている。

やぐら跡

やぐら跡

屋敷跡の隣の曲輪。櫓への階段が架かる。かなり急峻な斜面である。

鐘撞堂跡

鐘撞堂跡

鐘撞堂跡

本丸跡

本丸跡

歴史学習館が建つ

浦城付近の地図

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