文明元年(1469年)に播磨の戦国大名・赤松政則が築いた城で、赤松氏の本拠城となった。天正5年(1577年)には織田信長の勢力が及び、当主の赤松則房はその支配下に入った。天正8年(1580年)に廃城となり、廃材は姫路城の築城に用いられた。なお、姫路城の「との門」は置塩城大手門を移築したものと伝えられる。
文明元年に播磨の戦国大名・赤松政則が築いた城。織田信長の勢力が及び、当主の赤松則房はその支配下に入った。天正8年に廃城となり、廃材は姫路城の築城に用いられた。なお、姫路城の「との門」は置塩城大手門を移築したものと伝えられる。
(2007/7/26 作成)