日本の城写真集

= 松山城 (伊予国/愛媛県)=


三大平山城、日本百名城。 関ヶ原合戦の戦功により加増を受けた伊予松前城主・加藤嘉明が築城した城。山上に本丸、山麓に二の丸、三の丸を配する。本丸には連立式の天守が築かれた。天守以外にも多くの建造物が現存する。




- 本丸大手 -
大手門を外から

松山城 本丸大手

- 戸無門 -
慶長年間に建造された高麗門。

松山城 戸無門

- 筒井門 -
松山城の築城に際し、松前城から移築されたものと伝えられる。昭和24年に焼失した後、昭和46年に復元された。

松山城 筒井門

- 隠門 -
慶長年間の建築で、筒井門脇に隠れるようにして存在する。

松山城 隠門

- 太鼓櫓 -
戦災で焼失したのち、昭和48年に復元された。

松山城 太鼓櫓

- 太鼓門 -
太平洋戦争により焼失したが、昭和47年に再建された。

松山城 太鼓門

- 巽櫓 -
戦災で焼失したのち、昭和61年に再建された。

松山城 巽櫓

- 本丸内 -
馬具櫓。本丸を護る櫓で、鉄筋で復元された。

松山城 本丸内

- 一ノ門南櫓 -

松山城 一ノ門南櫓

- 一ノ門 -
天明四年(1784)に落雷により焼失し、同六年に再建された。

松山城 一ノ門

- 二ノ門 -

松山城 二ノ門

- 二ノ門南櫓 -

松山城 二ノ門南櫓

- 三ノ門 -

松山城 三ノ門

- 三ノ門南櫓 -

松山城 三ノ門南櫓

- 筋鉄門 -
門の柱に鉄板が貼り付けられている。天明四年(1784)に落雷により、昭和八年に放火により焼失したが、再建された。

松山城 筋鉄門

- 小天守 -
小天守は二層二階の櫓で、大天守が黒壁なのに対し小天守は白亜である。天明四年(1784)に落雷により、昭和八年に放火により焼失したが、昭和四十三年に再建された。

松山城 小天守

- 南隅櫓 -
天明四年(1784)に落雷により、昭和八年に放火により焼失したが、昭和四十三年に再建された。

松山城 南隅櫓

- 北隅櫓 -
天明四年(1784)に落雷により、昭和八年に放火により焼失したが、昭和四十三年に再建された。

松山城 北隅櫓

- 大天守 -
当初は五層であったが、寛永19年(1642)に三層に改築された。天明四年(1784)に落雷により焼失したが、安政元年(1854)に再建され現在に至る。

松山城 大天守

- 内門 -
北隅櫓と大天守の間の内門

松山城 内門

- 仕切門 -

松山城 仕切門

- 天神櫓 -
昭和54年に再建された。

松山城 天神櫓

- 紫竹門 -

松山城 紫竹門

- 乾門 -
太平洋戦争により焼失したが、昭和57年に木造で再建された。

松山城 乾門

- 乾門東続櫓 -
太平洋戦争により焼失したが、昭和57年に木造で再建された。

松山城 乾門東続櫓

- 乾櫓 -
乾櫓は松前城からの移築と伝えられる。

松山城 乾櫓

- 野原櫓 -

松山城 野原櫓

- 艮門 -
太平洋戦争により焼失したが、昭和59年に木造で再建された。

松山城 艮門

- 艮門東続櫓 -
太平洋戦争により焼失したが、昭和59年に木造で再建された。

松山城 艮門東続櫓

- 二の丸 -
多聞櫓、門

松山城 二の丸

- 二の丸内 -
大井戸。往時にはこの上には建物が建っていたと思われる。

松山城 二の丸内

- 二の丸奥 -
二の丸最奥の石垣

松山城 二の丸奥

- 登り石垣 -
登り石垣とは、山頂と麓を結ぶ石垣。彦根城、洲本城などと松山城にだけ見られる珍しいもの。松山城の登り石垣は2つ(北・南)あり、写真は南の登り石垣。

松山城 登り石垣

- 三の丸 -
三の丸東側の外濠

松山城 三の丸

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