日本の城 写真集

= 金沢城 (加賀国/石川県)=


日本百名城。当地には元々一向一揆の本拠地である尾山御坊があった。信長軍が尾山御坊を攻略し、賤ヶ岳の戦い後に前田利家が城主となり、能登・加賀・越中の100万石を治める大大名の拠点となった。城の向かいには大名庭園である兼六園がある。




- 百間堀跡 -
百間堀跡から見た石川門。百間堀は今は道路となっているが、往時は水堀で、城の南東側の大地続きの地形を断ち切り、敵の侵入を防いでいる。

金沢城 百間堀跡

- 石川門 -
石川門は金沢城の搦手門で、厳重な守りの枡形門である。現在の建造物は宝暦の大火後の1788年に再建されたもの。瓦を漆喰で塗り固めた海鼠壁が見える。

金沢城 石川門

- 石川門枡形内 -
石川門枡形内のようす。正面は切込ハギ、左手は打込ハギの石垣。同じ枡形門内で石垣の形式が異なるのは珍しい。明和二年(1765)頃に積まれたものと思われる。

金沢城 石川門枡形内

- 石川門櫓門 -
金沢城の搦手門で、厳重な守りの枡形門である。現在の建造物は宝暦の大火後の1788年に再建されたもの。飾り屋根の出窓が見えるが、枡形門内部にあるのは珍しい。

金沢城 石川門櫓門

- 三の丸 -
左から、橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓。1881年に焼失したものを2001年に再建した。日本古来の伝統工法により建設された。石落の出窓には唐破風の屋根が付く。

金沢城 三の丸

- 大手門口跡(尾坂門) -
大手門正面には鏡石と呼ばれる巨石が用いられている。写真は大手門右手の石垣で、やはり巨石が用いられている。

金沢城 大手門口跡(尾坂門)

- 河北門一の門 -
河北門一の門右脇のようす。石垣の下半分(灰色の石)は野面積み、上半分(赤色の石)の両脇は打込ハギ、両端は切込ハギ、と3種類の積み方が見える。

金沢城 河北門一の門

- 河北門二の門 -
河北門二の門を枡形内から。河北門は2010年に復元され、その姿は安永元年(1772)に再建されたものに基づく。堅固な枡形門で枡形の石垣は美しい切込ハギ。

金沢城 河北門二の門

- 菱櫓 -
三層の物見櫓で、尾坂門・河北門・石川門を一望できるように菱形をしているので、菱櫓と呼ばれる。2001年に文化の大火後(1808年)の姿に復元された。

金沢城 菱櫓

- 五十間長屋 -
橋爪門続櫓と菱櫓をつなぐ二層の多聞櫓。二の丸の広大な御殿を守るために非常に長い櫓となっている。普段は倉庫として、戦闘時は迎撃拠点として用いられる。

金沢城 五十間長屋

- 橋爪門続櫓 -
二の丸正門である橋爪門に隣接する場所にある、三層三階の櫓。三の丸に侵入した敵が橋爪門を突破しようとするのを防ぐ。

金沢城 橋爪門続櫓

- 橋爪門一の門 -
橋爪門は二の丸の大手門で、二の丸御殿に至る最後の関門。文化五年(1808)の火災で焼失したのち、文化六年に復元された姿で平成11~12年に建てられた。

金沢城 橋爪門一の門

- 橋爪門二の門 -
橋爪門は枡形門で、二の門は櫓門である。金沢城で最も格式高い門で、二の門の表面には帯金物鋲打と呼ばれる黒金が帯状に貼られ、黒金には意匠が施されている。

金沢城 橋爪門二の門

- 二の丸北面石垣 -
菱櫓脇から西側に伸びる水堀沿いに、二の丸北面石垣が見える。石垣に排水口が見える。

金沢城 二の丸北面石垣

- 二の丸裏口門跡 -
二の丸北面石垣に沿って西に向かうと、二の丸裏口門に至る。門跡の石垣が残る。

金沢城 二の丸裏口門跡

- 土橋門跡 -
さらに西に進み右手ある土橋門跡。切込ハギの石垣に組み込まれた六角形の石(亀甲石)は、水に親しむ亀を表したもので、防火の願いが込められている。

金沢城 土橋門跡

- 切手門 -
二の丸最西部にある現存の門。切手門をはいると数寄屋敷である。

金沢城 切手門

- 数寄屋敷石垣 -
当時藩主の側室たちが居住した。切込ハギで布積みの石垣には刻印が見える

金沢城 数寄屋敷石垣

- 二の丸 -
二の丸にはかつては千畳敷と形容される御殿が建てられ、藩庁として利用されていた。写真左端に見える建物は菱櫓、横に長い建物は五十間長屋。

金沢城 二の丸

- 三十間長屋 -
1759年に焼失したのち、1858年に再建された長屋で、重要文化財。実際には長さは26.5間である。東面には出窓が3つ設けられており、櫓台石垣は切込ハギ。

金沢城 三十間長屋

- 本丸 -
本丸には10の多重櫓が建ち、周囲を多聞櫓が周囲を囲んでいた。かつては金沢大学の植物園になっており、貴重な植物もある。前田利家の建てた天守もあったが焼失した。

金沢城 本丸

- 鶴の丸 -
東の丸北面石垣。前田利家が改修した野面積みの石垣。この石垣は城内で最も古い技法が用いられており、初期の金沢城の姿を伝える貴重なもの。

金沢城 鶴の丸

- 鶴丸倉庫 -
江戸時代末期の嘉永元年(1848)に立てられた土蔵。国内最大規模の土蔵。

金沢城 鶴丸倉庫

- いもり堀跡 -
本丸南面の高石垣。明治時代に上部が壊されて今の姿になるが、もとの高さ約22m以上ある城内随一の高石垣であった。かつては石垣上に辰巳櫓が建っていた。

金沢城 いもり堀跡

- 鯉喉櫓台 -
いもり堀の南東端に設けられたもの。明治40年のいもり堀埋め立ての際に取り壊されたが、平成22年に復元された。

金沢城 鯉喉櫓台

- 申酉櫓下付近の石垣 -
申酉櫓下付近の石垣。石垣に斜めのラインが入り、その右側は慶長年間の石垣で加工は荒く、左は寛永年間に継ぎだされたものでより奇麗に加工されている。

金沢城 申酉櫓下付近の石垣

- 薪の丸石垣 -
いもり坂から見る薪の丸の石垣。いもり坂は江戸時代には無かった。切込ハギの石垣だが、表面の膨らみは加工されていない「金場取り残し積み」と呼ばれる積み方。

金沢城 薪の丸石垣

- 玉泉院丸庭園 -
明治時代に一度無くなったが、平成27年に復元された。池に大中小3つの島がうかび、橋で結ばれている。芝生と松の緑が鮮やか。向こうには美しい石組みが見える。

金沢城 玉泉院丸庭園

- 玉泉院丸庭園(北側) -
段落ちの滝。発掘調査により、4段の滝が見つかり、遺構を埋め戻したうえで滝が復元された。色紙短冊積石石垣付近の滝壺が滝の水源であったと言う。

金沢城 玉泉院丸庭園(北側)

- 玉泉院丸庭園石垣群 -
金沢城の石垣には概ね「戸室石」が用いられるが、一つだけ黒色の「坪野石」が混ざっている。色の変化を楽しむための細工と言われる。

金沢城 玉泉院丸庭園石垣群

- 色紙短冊積石垣 -
縦長や横長の石、六角形の石、赤色や黒色の石など、多種多様の石で組まれたユニークな意匠の石垣。玉泉院丸庭園の背景としての役割を果たした。

金沢城 色紙短冊積石垣

- 鼠多門・鼠多門橋跡 -
玉泉院丸鼠多門周辺の石垣。かつてこの当たりには玉泉院丸と金谷出丸(今の尾崎神社)を結ぶ木橋が架けられていた。写真に見える窪みに橋脚が建っていた。

金沢城 鼠多門・鼠多門橋跡

- 移築城門(尾崎神社裏門) -
安土桃山時代の様式の唐門。かつての金沢城二の丸の門であったものが、城の西隣にある尾崎神社に移築されている。

金沢城 移築城門(尾崎神社裏門)

- 移築御殿(中村神社拝殿) -
金沢城内の能舞台を移築したもの。江戸時代末の建築。中村神社は金沢市内にある。

金沢城 移築御殿(中村神社拝殿)

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