日本の城 写真集

= 会津若松城 (陸奥国(岩代)/福島県)=


日本百名城。城の始まりは南北朝時代に葦名氏が築いた黒川城である。豊臣秀吉による奥州仕置きにより蒲生氏郷が入り、この時城名を鶴ヶ城と命名した。戊辰戦争の際には会津藩は旧幕府側に立ち、新政府軍の攻撃を受け1ヶ月間籠城に耐えた。




- 甲賀町口郭門跡 -
甲賀町口郭門跡の石垣。城の大手口であった。ここから内側が城内で、土塁が築かれ水堀がめぐらせれていた。

会津若松城 甲賀町口郭門跡

- 北出丸 -
北出丸石垣と水濠

会津若松城 北出丸

- 西出丸 -
西出丸の北側の虎口

会津若松城 西出丸

- 鐘撞堂 -
城内外に時を知らせる鐘があった。

会津若松城 鐘撞堂

- 大手門 -
大手門石垣に登るために、V字型の階段である武者走りが設けられている

会津若松城 大手門

- 二の丸方向虎口 -
二の丸方面からの帯曲輪入口の石垣

会津若松城 二の丸方向虎口

- 鉄門 -
鉄門を南側から

会津若松城 鉄門

- 南走長屋 -
天守から見る鉄門、南走長屋、干飯櫓

会津若松城 南走長屋

- 干飯櫓 -
非常食である干飯が保存されていたと言う。

会津若松城 干飯櫓

- 天守 -
戊辰戦争では会津藩は旧幕府側に立ち新政府軍の攻撃を受け1ヶ月間耐えるものの降伏した。 天守は1874年に解体されたが1965年に復元された。

会津若松城 天守

- 本丸 -
御三階石垣。御三階は数奇屋風の楼閣状の建物。七日町の阿弥陀寺に移築現存する。

会津若松城 本丸

- 麟閣 -
千利休の子が造ったものと伝わる。千利休は秀吉により切腹させられたが、蒲生氏郷はその子を匿い、のちに表、裏、武者小路の三家が再興した。

会津若松城 麟閣

- 二の丸 -
廊下橋

会津若松城 二の丸

- 御三階 -
かつては本丸北東角に建てられていたが、今は市内の阿弥陀寺に移築されている。唐破風は本丸御殿の玄関の一部を移したもの。

会津若松城 御三階