日本の城 写真集

= 小田原城 (相模国/神奈川県)=


日本百名城。後北条氏五代約百年間に渡る支配の本拠地となった。堅固な守りで有名で、上杉謙信・武田信玄による攻撃を撃退している。また、豊臣秀吉による関東討伐前には城下町を含む周囲約9kmの惣構によって城域が囲まれた。現在の天守は昭和35年に建造されたもの。




- 外堀・二の丸隅櫓 -
廃城の際にも破壊されなかったが関東大震災で堀の中に崩落した。現在の建物は昭和九年(1934)に復興されたもので、形状は往時のものとは異なる。

小田原城 外堀・二の丸隅櫓

- 馬出門 -
馬出門枡形。手前の馬出門(写真左)と奥の内冠木門(写真右)に囲まれたスペースを指す

小田原城 馬出門

- 馬屋曲輪 -
元禄年代(1700年頃)の絵図には馬屋と大腰掛、隅部に二重櫓が建っていたが、元禄地震の際に焼失し、以降は再建されなかった。

小田原城 馬屋曲輪

- 銅門 -
二の丸の表門で枡形門。扉の飾り金具に銅を使用していたため銅門と呼ばれた。現在の門は平成九年(1997)に建てられたもので、史料を元に当時の工法で復元された。

小田原城 銅門

- 常盤木門 -
本丸の大手門。現在の門は昭和46に外観復元されたもの。

小田原城 常盤木門

- 天守 -
現在の天守は昭和35年に復興されたもの。当初の天守は元禄16年の地震で倒壊したが、宝永3年に再建され、現在の天守はこの宝永年間の天守をモデルとしている。

小田原城 天守

- 御用米曲輪 -
蓮池弁財天。大永2年(1522)に北条家三代・氏康が源頼朝が武運の神として信仰した江ノ島の弁財天を勧進したのが始まり。

小田原城 御用米曲輪

- 小峰曲輪 -
小峰曲輪北堀。小峰曲輪は天守西側の曲輪。戦国の北条氏時代の遺構が残り、現在は見えないが、畝堀であったのではないかと言われる。

小田原城 小峰曲輪

- 本丸石垣 -

小田原城 本丸石垣

- 箱根口門跡 -
箱根口門跡の石垣

小田原城 箱根口門跡

- 大手門跡 -
大手門跡北側石垣と鐘楼。この門を入ると三の丸である。往時は枡形門を形成し、大手門前には水濠を備えていた。

小田原城 大手門跡

- 幸田口門跡 -
三の丸の虎口で、土塁が残る。城跡は市街地にあるため、三の丸の土塁が残る個所は少ないので、貴重な存在である。

小田原城 幸田口門跡

- 北条氏政・氏照の墓所 -
小田原駅から程近くの街中にある。北条氏政・氏照は豊臣秀吉に敵対した責任を取り自刃した。

小田原城 北条氏政・氏照の墓所

- 早川口跡 -
小田原城総構の南西口に当たる。かつては土塁と堀が二重となっていた。明治時代以降に地形が改変されたが、土塁が残存する。

小田原城 早川口跡

- 八幡山古郭東曲輪 -
八幡山古郭東曲輪を下から見上げる。八幡山古郭は八幡山の尾根上に位置し、北条氏時代の遺構が多く残る。

小田原城 八幡山古郭東曲輪

- 小峰大堀切 -
小田原城三の丸外郭の西側に位置する堀切。非常に大規模な堀切で、畝も見られる。また、途中で折れ曲がり横矢を掛ける。

小田原城 小峰大堀切

- 総構稲荷森 -
総構えの空堀が曲輪に沿って設けられている。

小田原城 総構稲荷森

- 総構山ノ神堀切 -
谷津丘陵を堀切で分断している。

小田原城 総構山ノ神堀切

- 総構城下張出 -
総構城下張出を見上げる。総構えから張り出すように設けられ、横矢掛りの効果を狙っていた。

小田原城 総構城下張出

- 北条早雲像 -
後北条家の祖。駿河・伊豆から相模小田原に進出。早雲の子の氏綱の代に小田原が北条家の本拠城となった。なお、早雲自身は北条を名乗らず、伊勢姓を名乗った。

小田原城 北条早雲像

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