日本の城写真集

= 大坂城 (摂津国/大阪府)=


日本三名城、日本百名城。信長の死後に豊臣秀吉が築いたが、天守は豪華絢爛で金箔などで彩られていたと言われる。その後、大坂の陣で城は破壊されるが、江戸幕府により築きなおされる。天守は昭和6年に復興され、現在に至る。




- 大手道 -
大手道を南側から見る

大坂城 大手道

- 大手門高麗門 -
寛永5年(1628)の築城の際に建てられたもの。扉や親柱が黒塗総鉄板張である。

大坂城 大手門高麗門

- 大手門枡形 -
大手門枡形の巨石。左手の巨石はおよそ23畳敷(38平方メートル)、85tで第五位にあたる。巨石は徳川氏の大坂城再築時に天下普請で瀬戸内海から運ばれてきた。

大坂城 大手門枡形

- 大手門多聞櫓 -
徳川家による大坂城築城時に建てられたが、天明三年(1783)に落雷により焼失し、その後嘉永元年(1848)に再建されたものが現在の門。

大坂城 大手門多聞櫓

- 千貫櫓 -
元和六年(1620)の建築。千貫櫓という名前の櫓は石山本願寺時代に遡る。大手門に横矢を掛ける位置に建つ櫓で、大手門防御の拠点。

大坂城 千貫櫓

- 西の丸 -
江戸時代には西の丸には南側に大坂城代屋敷があった。この屋敷は明治維新の際に焼失した。 写真は西の丸に建つ大阪迎賓館。

大坂城 西の丸

- 西の丸焔硝蔵 -
徳川時代の火薬庫で、当初は土造りであったが、落雷で大爆発を起こしたため花崗岩を用いて貞享2年(1685年)に再築された。

大坂城 西の丸焔硝蔵

- 乾櫓 -

大坂城 乾櫓

- 六番櫓 -
屏風折れの石垣。かつては石垣城に一番から七番まで七棟の櫓があった。現存するのは一番と六番の2棟。

大坂城 六番櫓

- 南仕切門跡 -
石山本願寺推定地。当地は天文元年には本願寺の本拠となり、広大な寺内町が造営された。十一世顕如の時代に信長との石山合戦に敗れこの地から退去した。

大坂城 南仕切門跡

- 桜門 -
寛永三年(1626)創建の門があったが、明治維新で失われた。現在の門は明治20年(1887)に陸軍が建てたもの。

大坂城 桜門

- 本丸天守台 -
金明水井戸屋形。小天守台上にあり江戸時代に掘られたもの。またこの井戸屋形は寛永三年(1626)の建造。この井戸は江戸時代は黄金水と呼ばれていた。

大坂城 本丸天守台

- 天守(二の丸から) -
京橋口付近の内濠から見る天守。天守は昭和6年に復興され、現在に至る。

大坂城 天守(二の丸から)

- 天守(本丸から) -
天守を本丸天守下仕切門跡付近から見る。天守は昭和6年に復興され、現在に至る。

大坂城 天守(本丸から)

- 本丸西面・北面 -
西の丸から見る本丸石垣

大坂城 本丸西面・北面

- 本丸東面 -
青屋門付近から見る本丸石垣 。

大坂城 本丸東面

- 本丸天守下仕切門跡 -
東南側の石垣。天守台西側には南北に仕切る石垣があり、そこに門が設けられていた。

大坂城 本丸天守下仕切門跡

- 姫門跡 -
山里丸から本丸へ入る枡形門跡。東は山里丸、南は本丸、西は埋門で隠し曲輪へ通じる。

大坂城 姫門跡

- 隠し曲輪 -
隠し曲輪の虎口。姫門の枡形から入る。

大坂城 隠し曲輪

- 山里丸 -
山里丸は本丸の一段下にある曲輪。秀吉はこの曲輪に茶室を設けた。大坂の陣の際には、淀君と豊臣秀頼はこの山里丸で最期を迎えたと言う。

大坂城 山里丸

- 山里口門跡・極楽橋 -
山里口門跡の石垣。山里曲輪側。

大坂城 山里口門跡・極楽橋

- 玉造口 -
玉造口付近の石垣と外濠

大坂城 玉造口

- 一番櫓 -
二の丸石垣上に建つ一番櫓

大坂城 一番櫓

- 青屋門 -
徳川家による大坂城築城時に建てられたが、明治維新で被災。その後修復されたが、太平洋戦争により大破。現在の門は昭和44年に残存する建材で復元されたもの。

大坂城 青屋門

- 京橋口 -
京橋口の石垣。石垣上には多聞櫓があったが、太平洋戦争時に焼失した。京橋口の名は、北の寝屋川(旧大和川)に京都へ通じる京橋が架けられていた事に由来する。

大坂城 京橋口

- 金蔵 -
金貨・銀貨を収納した蔵。「きんぞう」と読む。宝暦元年(1751)に長屋状の建物を分割して建造されたもの。防犯のため、床下は石敷き、出入り口は三重構造であった。

大坂城 金蔵

サイトトップ >> 摂津国 >> 大坂城