飯山城 | 日本の城写真集

飯山城 | 日本の城写真集

飯山城

信濃国長野県 / 収録写真枚数:43枚

  • 飯山城 移築城門(妙専寺山門)
  • 飯山城 移築城門(信叟寺山門)
  • 飯山城 三の丸
  • 飯山城 二の丸
  • 飯山城 枡形虎口
  • 飯山城 本丸
  • 飯山城 南中門
飯山城の写真撮影スポット紹介

飯山城は信濃国北部の現飯山市街にある城。城は千曲川沿いの台地上に築かれている。
戦国時代には信濃国北部は武田信玄と上杉謙信の争いの場となり、飯山の南に位置する中野を本拠とする高梨氏は武田氏に攻められ、永禄四年(1556)頃に上杉氏を頼り飯山城に入った。飯山城は上杉領の最前線となり、城の防備が拡張された。上杉謙信の死後、上杉景勝は武田氏との和睦のために飯山を割譲し、武田氏の支配下に入った。武田氏が滅亡すると織田氏の、続いて織田信長が本能寺の変で倒れると再び上杉景勝の領地となり、この時飯山城主に岩井信能が任じられた。その後上杉氏が会津に転封されると、飯山には関氏、松平忠輝の家臣・皆川広照など目まぐるしく城主が変わり、江戸時代中期に本多家が入封すると明治維新まで続いた。
戊辰戦争の際に飯山藩は新政府側に付いたが、旧幕府側の高田藩との戦いの場となり城下は焼失した。城はその後廃藩時に廃城となった。

飯山城は信濃国北部の現飯山市街にある城。城は千曲川沿いの台地上に築かれている。飯山の南に位置する中野を本拠とする高梨氏は武田氏に攻められ、永禄四年(1556)頃に上杉氏を頼り飯山城に入った。その後城主を変え、江戸時代が終わるまで城は使われ続けた。城の本丸には立派な石垣造りの枡形虎口が見られる。

(2014/9/14 作成)

飯山城付近の地図

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甲信越の名城を歩く 長野編 中澤克昭、河西克造編集

長野の山城ベスト50を歩く

廃城をゆく8 決戦の城

図説 正保城絵図 千田嘉博

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