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九戸城
九戸城は明応年間(1492~1501)頃までに築城され、南部氏一族の九戸氏の居城となる。 1580年頃、当時の城主・九戸政実は、南部氏の後継者をめぐり南部信直と対立した。南部信直は秀吉の奥州仕置に従うが、政実は従わずに秀吉・信直と敵対する。天正19年(1591)、徳川家康・羽柴秀次などの奥州仕置軍の侵攻を受け、これに対し善戦するが、助命を条件に開城。ところがこれが秀吉側の謀略で、九戸政実をはじめ城内の兵士・庶民も全員処刑された。 戦後、南部信直はこの城を福岡城と改め、三戸城から九戸城へ居城を変えたが、1636年にさらに盛岡城に移ると廃城となった。 九戸城跡は中世の九戸城と近世の福岡城(本丸、二の丸)の二重構造からなっている。
(2007/10/12 作成)
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▼堀跡
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▼二の丸
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▼本丸追手門
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▼本丸
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▼本丸虎口付近
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▼石沢館・若狭館
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Copyright(C) 2007-2010 日本の城 写真集
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