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会津若松城
会津若松城の始まりは、南北朝時代に葦名氏が築いた黒川城である。葦名氏は天正17年(1589)の伊達政宗との決戦に敗れ、黒川城は政宗の支配下に入った。 翌年の豊臣秀吉による奥州仕置きにより蒲生氏郷が入り、七層の天守閣を建て、地名を若松に改めた。この時城名を鶴ヶ城と命名し、この時の名が今でも通称で使用される。 蒲生氏の後には上杉景勝、関ヶ原合戦後は再び蒲生氏が復帰、のちに加藤氏、松平(保科)氏と城主が代わった。加藤氏の時代であった慶長16年(1611年)には大地震が発生し、天守閣が倒壊してしまったため、五層に改められ再建された。また、北出丸、西出丸が拡張され現在の城の姿となった。 戊辰戦争の際には会津藩は旧幕府側に立ち、新政府軍の攻撃を受け1ヶ月間籠城に耐えるものの、ついに降伏した。 天守閣はこの時失われたが、1965年に復元された。
(2008/9/8 作成、2010/8/29 更新)
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▼甲賀町口郭門跡
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▼北出丸
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▼西出丸
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▼帯曲輪
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▼鉄門、南走長屋、干飯櫓
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▼天守閣
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▼本丸
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▼二の丸
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▼御三階
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