郡上八幡城 | 日本の城写真集

郡上八幡城 | 日本の城写真集

郡上八幡城

美濃国岐阜県 / 収録写真枚数:53枚

  • 郡上八幡城 山麓
  • 郡上八幡城 下段
  • 郡上八幡城 北側隅櫓
  • 郡上八幡城 南側隅櫓
  • 郡上八幡城 城門
  • 郡上八幡城 冠木門
  • 郡上八幡城 天守
  • 郡上八幡城 力石
郡上八幡城の写真撮影スポット紹介

郡上八幡城は永禄2年(1559)に遠藤盛数が築いた城である。遠藤盛数は主家であった東家を滅ぼし、郡上の支配権を確立した。盛数が死去すると、子の慶隆が城主となった。当初は美濃の戦国大名・斎藤氏に従うが、斎藤氏が尾張の織田信長に滅ぼされると織田氏に従った。信長の死後は秀吉と敵対するが降伏し、天正16年(1588)に他地へ転封された。
代わって城主となったのは美濃西部出身の稲葉貞通で、貞通の時代に城が大改修された。貞通は関ヶ原の合戦で始め西軍につき、もと郡上八幡城主の遠藤慶隆ら東軍の攻撃を受け落城した。貞通は東軍に降伏し活躍、戦後は豊後臼杵に加増転封された。郡上八幡には遠藤慶隆が復帰し、2万7千石を領した。
その後江戸時代の間、遠藤氏、井上氏、金森氏、青山氏が城主をつとめた。明治維新により廃城され建造物は撤去された。現在の天守は1933年に木造で建築された、木造復元では国内最古のもので、大垣城の天守が模されている。

永禄2年に遠藤盛数が築いた城。天正16年に稲葉貞通が城主となるが関ヶ原の合戦で西軍につき、もと郡上八幡城主の遠藤慶隆ら東軍の攻撃を受け落城した。郡上八幡には遠藤慶隆が復帰し、2万7千石を領した。

(2008/11/12 作成、2020/5/16 更新)

郡上八幡城付近の地図

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