田辺城 | 日本の城写真集

田辺城 | 日本の城写真集

田辺城

丹後国京都府 / 収録写真枚数:37枚

  • 田辺城 櫓門
  • 田辺城 本丸石垣
  • 田辺城 天守台
  • 田辺城 隅櫓
  • 田辺城 移築城門(明倫館表門)
  • 田辺城 移築城門(見海寺山門)
  • 田辺城 移築城門(瑞光寺山門)
田辺城の写真撮影スポット紹介

田辺城は天正6年(1578)に丹後国を平定した織田信長の部下・細川藤孝が築いた城である。関ヶ原合戦では細川家は東軍につき、城は西軍の大軍に包囲された。落城寸前のところで、著名な歌人でもある細川藤孝の身を案じた後陽明天皇が和睦の仲裁をし、細川藤孝は死を免れた。
戦後細川家は九州小倉に転封となり、かわりに京極高知が入り城の拡張を行った、のちに宮津城を本拠地としたため、いったん田辺城は廃城された。その後舞鶴には京都所司代も務めた牧野親成が封じられ、田辺城を修復した。
現在城跡には櫓門や隅櫓、天守台石垣などが復元され、公園として整備されている。櫓門の二階は無料の資料館となっている。

天正6年に丹後国を平定した織田信長の部下・細川藤孝が築いた城。関ヶ原合戦では西軍の大軍に囲まれるという難事に直面した。戦後京極高知が宮津城を本拠地とし田辺城は廃城された。高知の死後、その三男の高三が舞鶴に封じられ城を再築した。

(2007/7/11 作成、2014/4/27 更新)

田辺城付近の地図

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近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編 仁木宏、福島克彦編集

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