日本の城写真集

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見どころ紹介

龍野城は山麓の居館と、背後の鶏籠山の山城からなる城である。明応8年(1499)に播磨の戦国大名・赤松政則の子である村秀が鶏籠山に築城したのが始まりで、以降赤松氏四代が城主を務める。しかし天正15年(1577)には当地にも織田信長の勢力が及び、信長の部下・羽柴秀吉の支配下に入った。そのため、龍野城主は秀吉の部下の蜂須賀正勝が務め、秀吉が天下を取った後には福島正則、木下勝俊、小出吉政が城主を務めた。
江戸時代には播磨は姫路を本拠とする池田輝政の支配となり、龍野城には城代が置かれ、荒尾成房・池田長明が城代を務めた。池田家が因幡に転封されると、本多家、小笠原家、岡部家、京極家が城主となるが、万治元年(1658)に城主の京極高和の転封に伴い廃城された。しかし、寛文12年(1672)に脇坂安政が入り城が再築され、以降明治維新まで約200年の間、脇坂家が藩主を務めた。
明治維新により廃城となったものの、昭和50年から5年をかけて城が再興され、多聞櫓や本丸御殿などが全て木造で築かれている。

明応8年(1499)に赤松村秀が鶏籠山に築城したのが始まりで、以降赤松氏四代が城主を務める。しかし天正5年(1577)には織田信長の勢力が及びその支配下に入った。江戸時代に山麓に居館が構えられ現在見る城の姿となった。

(2007/7/26 作成、2012/12/22 更新)

公式動画チャンネル

龍野城付近の地図

龍野城が載っている本

よみがえる日本の城

図説江戸三百藩「城と陣屋」総覧―決定版 (西国編)

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