日本の城写真集

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見どころ紹介

額田城は佐竹一族の額田氏が建長年間(1249~1256年)に築いたのが始まりである。城は佐竹氏の本拠・太田城のすぐ南に位置する。やがて額田氏は佐竹氏と敵対し、応永三十年(1423)に佐竹氏によって額田氏は滅ぼされた。その後、額田城には佐竹氏家臣の小野崎氏が入り、城主を務めた。戦国時代末期には小野崎昭通が城主で佐竹家の家臣であったが、天正十七年(1589)に摺上原の戦いに勝利し会津を獲得し、さらに佐竹氏の領土への信仰を目論む伊達政宗に通じた。翌年には豊臣秀吉の関東征伐が行われ北条氏が滅亡し、また伊達政宗も会津から転封された。これにより小野崎昭通は孤立し、佐竹氏に攻められ敗北、奥州へ落ち延びていった。2013年には伊達政宗から小野崎昭通に宛てた内通を促す密書が民家の土蔵から発見され話題となった。
城にはかつては4つの曲輪があり、城の周囲は沼に囲まれ固い守りを誇った。現在は本丸と二の丸が残る。

佐竹一族の額田氏が建長年間に築いたのが始まり。やがて額田氏は佐竹氏と敵対し佐竹氏によって滅ぼされた。その後、額田城には佐竹氏家臣の小野崎氏が入り城主を務めた。戦国時代末期には小野崎昭通が城主で佐竹家の家臣であったが、伊達政宗に通じ佐竹氏に攻められ敗北、奥州へ落ち延びていった。城にはかつては4つの曲輪があり周囲は沼に囲まれ固い守りを誇った。

(2013/6/30 作成)

公式動画チャンネル

額田城付近の地図

額田城が載っている本

関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬

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