日本の城写真集

日本の城写真集

名護屋城

(肥前国/佐賀県)

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見どころ紹介

全国制覇した豊臣秀吉が、朝鮮半島・中国大陸の侵略を目論み、その拠点とするために築いた城。縄張は豊前国に封じられていた黒田官兵衛が担当し、城が完成したのは文禄元年(1592)であった。佐賀県の玄界灘沿いに位置し、ここから船で朝鮮半島へ渡るためには格好な地であった。名護屋城の周辺には、全国の諸大名の陣が築かれ、都のように栄えたと言う。秀吉もこの城に滞在し督戦に当たった。
慶長3年(1598)に秀吉が死去すると侵略は中止され、名護屋城も無用の長物となり廃城された。また慶長7年(1602)の唐津城築城の際には部材が運ばれ、さらに島原の乱が起こると、同じような乱が再び起こらないよう徹底的に破城された。現在でも石垣がV字に破壊されている箇所が多数残る。

日本百名城。全国制覇した豊臣秀吉が、朝鮮半島・中国大陸の侵略を目論み、その拠点とするために築いた城。周辺には全国の諸大名の陣が築かれた。慶長3年に秀吉が死去すると廃城された。島原の乱が起こると、同じような乱が再び起こらないよう徹底的に破城された。実際、石垣がV字に破壊されている箇所が多数ある。

(2008/6/14 作成、2016/1/5 更新)

公式動画チャンネル

見どころ

大手口・大手道

大手口・大手道

大手道のようす。一直線に東出丸に向かう。大手道の左手は三の丸であり、侵攻の際には常に三の丸からの攻撃に晒される。

東出丸

東出丸

大手口から東出丸に入る虎口にある石垣。門が設けられていたような石垣だが、「肥前名護屋城図屏風」によると門は見えない。

三の丸

三の丸

三の丸南東隅櫓台。新旧の石段が発見されたことから、一度旧石段が造られ、すぐに埋められて新石段が造られたと考えられる。見えているのは新石段。

馬場

馬場

本丸から見る馬場櫓台

搦手口・弾正丸

搦手口・弾正丸

搦手口脇の櫓台

二の丸

二の丸

二の丸と遊撃丸を隔てる石垣。V字形に崩されている。小さく人が見えるのが本丸天守台

遊撃丸

遊撃丸

天守台から遊撃丸を見下ろす

水手曲輪・水手口

水手曲輪・水手口

水手口

本丸

本丸

本丸のようす。本丸全体には御殿が建てられていたと言われる。肥前名護屋城図屏風では、御殿は檜皮葺であり、書院造風の格式の高い建物であった。

天守台

天守台

天守台と石碑。五層七回建ての天守が聳えていたという。眼下には玄界灘が見える。

山里口

山里口

秀吉は在城中に能や茶道にふけったが、主に山里曲輪で行ったと考えられている。曲輪の西端からは茶室跡が発掘された。

移築城門(近松寺山門)

移築城門(近松寺山門)

近松寺は唐津藩主・小笠原家の菩提寺。山門は名護屋城の資材を用いたと言われる。

移築城門(浄泰寺山門)

移築城門(浄泰寺山門)

名護屋城付近の地図

名護屋城が載っている本

わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34

日本100名城めぐりの旅

天下人の城―信長から秀吉・家康へ

廃城をゆく

日本100名城公式ガイドブック

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