日本の城写真集

日本の城写真集

高鍋城

(日向国/宮崎県)

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見どころ紹介

もとは財部(たからべ)城と呼ばれ、平安時代中期頃から土持氏が支配した。長禄元年(1457)に佐土原の伊東氏に支配が移ったが、天正五年(1577)には島津氏が伊東氏を破り、これにより財部城も島津氏の支配下に入った。
天正十五年(1587)には豊臣秀吉による九州征伐が行われ、これにより島津氏は財部城を没収され、かわりに筑前の戦国大名であった秋月氏が封じられた。秋月氏は幕末まで財部藩の藩主をつとめた。寛文九年(1669)に三代藩主・種信が城の修復を行い、また城名を「高鍋」に改めた。

もとは財部(たからべ)城と呼ばれ、土持氏、のち伊東氏が支配したが、島津氏が伊東氏を破り島津氏の支配下に入った。豊臣秀吉による九州征伐の際には秋月氏が封じられ、幕末まで秋月氏が城主をつとめた。寛文九年に城名が「高鍋」に改められた。

(2008/9/23 作成、2013/12/14 更新)

公式動画チャンネル

見どころ

二の丸石垣

二の丸石垣

城の二の丸は舞鶴城公園として整備されている。高鍋城は舞鶴城とも呼ばれていたため、公園の名に採用された。

岩坂門跡

岩坂門跡

寛文十年(1670)に設けられた門で、二の丸の大手門。杉ノ本門とも呼ばれていた。

萬歳亭

萬歳亭

萬歳亭は秋月種樹の住家の別棟。秋月種樹は最後の藩主・種殷の子。老朽化のため昭和62年に復元された。

二の丸

二の丸

二の丸にある舞鶴神社

本丸

本丸

本丸石垣

大手門跡

大手門跡

明倫堂書庫・秋月毅堂書庫

明倫堂書庫・秋月毅堂書庫

右が明倫堂書庫、左が秋月毅堂書庫。

黒水家住宅

黒水家住宅

籾蔵。西南戦争の際に高鍋は政府軍と西郷軍に二分し、政府軍側の九人が西郷軍によってこの籾蔵に閉じ込められた。

高鍋城付近の地図

高鍋城が載っている本

よみがえる日本の城

図説江戸三百藩「城と陣屋」総覧―決定版 (西国編)

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