日本の城写真集

日本の城写真集

鳥取城

(因幡国/鳥取県)

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見どころ紹介

鳥取県鳥取市の久松山にある城。因幡山名氏、但馬山名氏の争いの中で築城されたとみられる。
山名氏の支配の後、毛利家の吉川元春により落城し毛利方となる。その後吉川経家が城主となるが、織田家家臣の羽柴秀吉が来襲し、兵糧攻めの末落城、吉川経家は自決した。
落城後は秀吉の部下・宮部継潤が城代となった。江戸時代は池田氏が入城し、明治維新まで続いた。
城は、山城の部分と、近世に整備された山麓の部分からなる。

日本百名城。山名氏の支配の後、毛利家の支配を受け吉川経家が城主となるが、羽柴秀吉が来襲し、兵糧攻めの末落城、吉川経家は自決した。江戸時代は池田氏が入城し、明治維新まで続いた。城は、山城の部分と、近世に整備された山麓の部分からなる。

(2007/5/1 作成、2013/9/22 更新)

公式動画チャンネル

見どころ

内堀

内堀

内堀越しに見る鳥取城。白亜の洋館・仁風閣と山上ノ丸がある久松山が見える。

大手御門跡

大手御門跡

大手御門跡を内側から。大手御門跡に架かる橋は擬宝珠橋と呼ばれる。現在ここを入った場所に鳥取西高校が建てられている。

丸の内

丸の内

丸の内は内堀のすぐ内側にある曲輪。上下二段になっており、上段には仁風閣が建てられている。写真は仁風閣。

太鼓御門跡

太鼓御門跡

太鼓御門は三の丸虎口で、時を刻む太鼓が設けられた櫓門でもあった。石垣は享保五年(1720)の大火の際に焼けた跡が残る。写真は太鼓御門跡の石垣。

三の丸

三の丸

池田長吉によって築かれ藩主の隠居場として用いられたが、三代藩主・吉泰の時に享保元年から三年かけ藩主の御殿が建てられた。現在は鳥取西高校が建てられている。

二の丸へ

二の丸へ

三の丸から見る石垣

表御門跡へ

表御門跡へ

表御門跡(三の丸から二の丸へ上がる虎口)付近の石垣

天球丸巻石垣

天球丸巻石垣

天球丸の巻石垣。非常に珍しい球状の石垣。崩れそうになった石垣を補強するためにこのような石垣が築かれた。

天球丸下の曲輪

天球丸下の曲輪

天球丸下の曲輪の南端から見る石垣

二の丸表御門跡

二の丸表御門跡

天球丸から表御門跡を見下ろす

天球丸へ

天球丸へ

天球丸への道

天球丸

天球丸

かつて天球丸南端には三階櫓が建っていたが、火災で焼失した。その後天保10年(1839)に武具櫓が建てられた。左の区画が三階櫓、右の区画が武具櫓を示す。

北御門跡

北御門跡

北御門跡左手の石垣

中仕切門

中仕切門

鳥取城に残る唯一の城門。一度台風にて倒壊するが、昭和五十年に復旧された。その際に木材・瓦は新調された。

右膳丸

右膳丸

右膳の丸北側の曲輪の石垣

二の丸北側

二の丸北側

二の丸北端の石垣。往時は石垣上に隅櫓が建っていた。

二の丸裏御門跡

二の丸裏御門跡

裏御門跡を城内側から

二の丸三階櫓跡

二の丸三階櫓跡

三階櫓跡の石垣。三階櫓は山頂の天守が焼失した後は、鳥取城のシンボルであった。昭和十八年の鳥取大地震で崩壊したが昭和三十四年から七年かけて復旧した。

二の丸南側

二の丸南側

三階櫓跡から見る二の丸。藩主の御殿があり藩政の中心であったが、御殿は三の丸に移され、享保五年の大火で焼失した。弘化三年に再建されたが現在は失われている。

山上ノ丸へ

山上ノ丸へ

山上ノ丸への登山口。鳥居をくぐって山上ノ丸への登山道へ。

山上ノ丸 二の丸・三の丸

山上ノ丸 二の丸・三の丸

登山道を登りきると石垣が見える

山上ノ丸 本丸

山上ノ丸 本丸

本丸虎口。かつては左の石垣上に月見櫓が建っていた。

天守櫓跡

天守櫓跡

天守櫓跡石垣

山上ノ丸 東坂道

山上ノ丸 東坂道

二の丸下から道を進むと東坂道を経て太閤ヶ平へ。途中に石垣などがある。

鳥取城付近の地図

鳥取城が載っている本

わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34

日本100名城めぐりの旅

歴史人 2013年5月号 戦国城の合戦の真実

廃城をゆく 2

日本100名城公式ガイドブック

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