美濃国 / 岐阜県 / 収録写真枚数:54枚
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久々利城は美濃国守護・土岐氏の一族・久々利氏の居城で、南北朝時代から当地を支配した。久々利氏は斎藤道三、のちに織田信長の支配下に入る。本能寺の変後には金山城主の森長可と敵対し、久々利城は落城した。当地には千村氏が封じられ、城の山麓に陣屋が開かれた。
(2018/4/8 作成)
当サイト管理人(けいすけ)が全写真を撮影。久々利城の人気の撮影スポットをご紹介します。
ここから城の中心部に向かう。幟が立てられ、雰囲気を盛り上げる。
城域に入る。左には切岸が見える。正面には枡形虎口があり、右手の土塁で枡形を形造る。
三の丸から二の丸・本丸を見る。切岸の木々は伐採され、見学しやすい。
二の丸のようす。右手の切岸上には本丸がある。
本丸のようす。それ程広さは無い
本丸から奥の院を見る
最高部にある郭で、その名の通り見張り番が居たのだろうか。
二重堀切の一つが右に見える。正面の高まりの左手にもう一つの堀切がある
現在整備されている城跡の西側の尾根にも城郭遺構がある。寺院の裏側の山に当たる。
久々利城下にある屋敷跡。千村氏は信濃国木曽の出身で、木曽氏のち徳川氏に仕え関ヶ原合戦で功を挙げ、当地4600石を得て屋敷を置いた。
千村氏屋敷北側にあった庭園。千村政成が宝暦六年(1756)頃に造った花木園を、仲雄が文政11年(1828)頃に池泉回遊式の庭園に改修した。
東海の名城を歩く 岐阜編 中井均 ・内堀信雄編集
ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城 香川元太郎(イラスト)