妻木城 | 日本の城写真集

妻木城 | 日本の城写真集

妻木城

美濃国岐阜県 / 収録写真枚数:56枚

  • 妻木城 士屋敷跡
  • 妻木城 士屋敷跡裏山谷川沿い石垣
  • 妻木城 山頂部
  • 妻木城 山頂部二の曲輪
  • 妻木城 山頂部一の曲輪
  • 妻木城 移築城門(崇禅寺山門)
妻木城の写真撮影スポット紹介

妻木城は美濃国東部にあった城。妻木の地では美濃焼で有名な陶器が生産され、城周辺には窯跡が残る。
妻木城の築城時期は不明だが、暦応二年(1339)に明智頼重が妻木を領した際に築城されたとも伝わる。戦国時代には妻木氏が領主となっていたが、織田信長・森可長らの配下となり戦国を生き抜き、関ヶ原合戦では東軍に付き加増を受けた。また関ヶ原合戦に際し妻木城を拡張したと思われる。しかし万治元年(1658)には無嗣改易され、この時妻木城も廃城されたと思われる。
現在でも山麓に居館跡が、山上に詰めの城が残り、ともに石垣が使用されている。関ヶ原合戦頃までは山上の城が、その後は山麓の居館が用いられたと思われる。
明智光秀の妻・煕子は妻木氏の出身で、妻木一族は光秀の家臣として行動し、煕子の伯父・広忠は光秀の滅亡時に自害したと言われる。

妻木城は美濃国東部にあった城。暦応二年(1339)に明智頼重が妻木を領した際に築城されたとも伝わる。戦国時代には妻木氏が領主となっていたが、織田信長・森可長・徳川家康らの配下となり戦国を生き抜いた。現在でも山麓に居館跡が、山上に詰めの城が残り、ともに石垣が使用されている。関ヶ原合戦頃までは山上の城が、その後は山麓の居館が用いられたと思われる。

(2013/7/27 作成)

妻木城付近の地図

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