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犬山城
犬山城は天文6年(1537)に織田信康が築いた城である。信康は織田信長の叔父であり、信康の跡は子の信清が継いだ。信清は信長と敵対し、永禄7年(1564)に犬山城は落とされ、以降信長が支配した。元亀元年(1570)には信長の乳兄弟・池田恒興が城主に任じられた。 本能寺の変後は尾張を支配した信長の子・織田信雄の支配下に入ったが、秀吉の部下・池田恒興の攻撃を受け落城した。その後の小牧長久手の戦い後に信雄と秀吉は和睦し、犬山城は再び信雄の支配下に戻った。 関ヶ原合戦時には豊臣家の家臣である石川貞清が城主であった。貞清は西軍に付いたが、東軍の攻撃を受け、また籠城軍が東軍に内応したことから、決戦前に落城した。 関ヶ原合戦後は清洲藩主・松平忠吉(家康の四男)の重臣・小笠原吉次が城主となった。忠吉が慶長12年(1607)に死去すると、名古屋藩主に徳川義直(家康の九男)が任じられ、義直の重臣・平岩親吉が城主となった。親吉は慶長16年(1611)に死去するが、子がなく平岩家は断絶した。 その後元和3年(1617)に同じく義直の重臣の成瀬正成が城主となった。以降成瀬氏は代々尾張藩の家老と犬山城主をつとめ、幕末に至った。明治維新により建物の多くは取り壊されたが、天守閣は現在まで残っている。また平成16年まで成瀬氏の所有する城であったが、現在は財団法人の所有となっている。
(2009/5/11 作成)
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▼三の丸
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▼二の丸・大手道
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▼本丸鉄門
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▼本丸
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▼天守閣
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▼木曽川
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