日本の城写真集

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見どころ紹介

玉縄城は後北条家が相模攻略の拠点として築いた城である。当時後北条家は相模を支配していた上杉家とその家臣・三浦家の追い落としを図っており、三浦家の本拠である三浦半島を押さえるために玉縄城を築いた。また、玉縄城は鎌倉から至近であり、鎌倉を支配する目的も持っていたものと思われる。
当初は北条家の重臣・大道寺盛昌が城代をつとめたが、後に北条氏時(後北条家第二代・氏綱の弟)、北条為昌(後北条家第三代・氏康の弟)と一族の重鎮が城主となり、玉縄衆と呼ばれた。その後、黄八幡として有名な猛将・北条綱成が城主となり、綱成は川越合戦を始め数々の戦で活躍し北条家の勢力拡大に貢献した。
綱成の後は子の氏繁、さらにその子の氏舜、氏勝が後を継いた。氏勝は、後北条家が豊臣家によって滅ぼされた際に城を豊臣方の徳川家康軍に降伏し、家康の家臣となった。この際、氏勝は玉縄から移り、代わって家康の重臣・本多正信が入った。
現在城跡は清泉女学院や住宅地となり遺構はあまり残っていないが、地元の玉縄城址まちづくり会議などによる整備も行われている。

後北条家が相模攻略の拠点として築いた城。三浦半島の押さえと鎌倉を支配する目的も持っていたものと思われる。当初は北条家の重臣・大道寺盛昌が城代をつとめたが、後に北条氏時、北条為昌が城主となり、玉縄衆と呼ばれた。その後、黄八幡として有名な猛将・北条綱成が城主となり、数々の戦で活躍し北条家の勢力拡大に貢献した。

(2012/12/2 作成)

公式動画チャンネル

玉縄城付近の地図

玉縄城が載っている本

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