東竹の丸から見る二様の石垣。武者返しの反りが美しい2種類の石垣が並ぶ熊本城を象徴する景観。それぞれ築かれた年代が異なり、右のよりなだらかな石垣が加藤清正時代、左の石垣は清正の息子・忠広時代の石垣と考えられるとのこと。
二様の石垣の左に大天守が見える
二様の石垣の左に大天守が見える
二様の石垣。右のよりなだらかな石垣が加藤清正時代、左の石垣は右の石垣の約20年後に清正の息子・忠広時代の石垣と考えられるとのこと。左の新しい石垣の隅部は算木積みとなっているが、右の石垣は算木積みではない箱積みになっており、築城技術の進歩が垣間見られる。
二様の石垣。武者返しの反りが美しい2種類の石垣が並ぶ熊本城を象徴する景観。左の石垣は右の石垣の約20年後に清正の息子・忠広時代の石垣とのこと。左の石垣は当初は加藤家の後に肥後に入った細川家によるものと言われていたが、2016年の震災後の調査で加藤忠広の時代の石垣と考えられるとのこと。
二様の石垣と本丸御殿、大天守