水戸城 二の丸 | 日本の城写真集

水戸城 二の丸 | 日本の城写真集

  • 水戸城 二の丸 二の丸内部を東にまっすぐ伸びる道。この先に本丸があるのだが、写真では見えないほどである。二の丸の広さがよくわかる。
  • 水戸城 二の丸 二の丸北側にある水戸彰考館跡。水戸藩二代藩主・徳川光圀が歴史書「大日本史」編纂のために明暦三年(1657)に江戸駒込の藩邸に史局(のちの彰考館)を創設。その後の貞享三年(1686)に水戸城内二の丸のこの地にも彰考館別館を設置。天明七年(1787)に焼失するも、寛政八年(1796)に再建された。現在は水戸市立第二中学校となっている。
  • 水戸城 二の丸 二の丸北側にある二の丸展示館
  • 水戸城 二の丸 「大日本史編纂之地」石碑。水戸藩二代藩主・徳川光圀が歴史書「大日本史」編纂のために明暦三年(1657)に江戸駒込の藩邸に史局(のちの彰考館)を創設。その後の貞享三年(1686)に水戸城内二の丸のこの地にも彰考館別館を設置。明治維新後は徳川家の事業として継続され、「大日本史」の完成は明治39年(1906)。約250年に渡って続けられた驚くべきものであった。
  • 水戸城 二の丸 二の丸に入り右手にある茨城大学教育学部附属小学校・幼稚園
  • 水戸城 二の丸 二の丸内を東に向かって貫く道。この道を進むと本丸に至る。
  • 水戸城 二の丸 二の丸内を東に向かう道の左手に生える大シイは樹齢約400年と推定され、戦国時代から存在しているものと伝わる。
  • 水戸城 二の丸 二の丸東側、水戸二中グラウンド脇に設けられた見晴台。二の丸北側に位置し、眼下に那珂川を望む、水戸城の構造を体感できるスポット。近所に住む方たちからの寄付により設置されたとのことで、大変ありがたい。
  • 水戸城 二の丸 水戸二中グラウンドを見る。かつての二の丸の敷地で、広大な平地が広がることがわかる
  • 水戸城 二の丸 見晴台から那珂川方向を見る。ベンチも設置され景色を眺めながら一休みできる。
  • 水戸城 二の丸 見晴台から那珂川方向を見る
  • 水戸城 二の丸 二の丸杉山門向かいに水戸第三高校が建つ。石垣、土塀、門と雰囲気を醸し出す。ここにはかつて二の丸御殿があった。二の丸御殿は水戸城最大規模の建物で、水戸徳川家初代の徳川頼房が寛永の水戸城大整備(1625~1638)の際に建設された。
  • 水戸城 二の丸 水戸第三高校の校門。ここにはかつて二の丸御殿があった。水戸城最大規模の建物で、水戸徳川家初代の徳川頼房が寛永の水戸城大整備(1625~1638)の際に建設された。
  • 水戸城 二の丸 二の丸の本丸寄り地点から西方向を見る。杉山門が見える
  • 水戸城 二の丸 二の丸南側。国道51号線脇にそびえる崖上に二の丸がある。
水戸城写真撮影スポット紹介

広大な面積を誇り、往時は二の丸御殿や水戸彰考館、三階櫓などが立ち並んでいた。

写真

二の丸内部を東にまっすぐ伸びる道。この先に本丸があるのだが、写真では見えないほどである。二の丸の広さがよくわかる。

二の丸内部を東にまっすぐ伸びる道。この先に本丸があるのだが、写真では見えないほどである。二の丸の広さがよくわかる。

二の丸北側にある水戸彰考館跡。水戸藩二代藩主・徳川光圀が歴史書「大日本史」編纂のために明暦三年(1657)に江戸駒込の藩邸に史局(のちの彰考館)を創設。その後の貞享三年(1686)に水戸城内二の丸のこの地にも彰考館別館を設置。天明七年(1787)に焼失するも、寛政八年(1796)に再建された。現在は水戸市立第二中学校となっている。

二の丸北側にある水戸彰考館跡。水戸藩二代藩主・徳川光圀が歴史書「大日本史」編纂のために明暦三年(1657)に江戸駒込の藩邸に史局(のちの彰考館)を創設。その後の貞享三年(1686)に水戸城内二の丸のこの地にも彰考館別館を設置。天明七年(1787)に焼失するも、寛政八年(1796)に再建された。現在は水戸市立第二中学校となっている。

二の丸北側にある二の丸展示館

二の丸北側にある二の丸展示館

「大日本史編纂之地」石碑。水戸藩二代藩主・徳川光圀が歴史書「大日本史」編纂のために明暦三年(1657)に江戸駒込の藩邸に史局(のちの彰考館)を創設。その後の貞享三年(1686)に水戸城内二の丸のこの地にも彰考館別館を設置。明治維新後は徳川家の事業として継続され、「大日本史」の完成は明治39年(1906)。約250年に渡って続けられた驚くべきものであった。

「大日本史編纂之地」石碑。水戸藩二代藩主・徳川光圀が歴史書「大日本史」編纂のために明暦三年(1657)に江戸駒込の藩邸に史局(のちの彰考館)を創設。その後の貞享三年(1686)に水戸城内二の丸のこの地にも彰考館別館を設置。明治維新後は徳川家の事業として継続され、「大日本史」の完成は明治39年(1906)。約250年に渡って続けられた驚くべきものであった。

二の丸に入り右手にある茨城大学教育学部附属小学校・幼稚園

二の丸に入り右手にある茨城大学教育学部附属小学校・幼稚園

二の丸内を東に向かって貫く道。この道を進むと本丸に至る。

二の丸内を東に向かって貫く道。この道を進むと本丸に至る。

二の丸内を東に向かう道の左手に生える大シイは樹齢約400年と推定され、戦国時代から存在しているものと伝わる。

二の丸内を東に向かう道の左手に生える大シイは樹齢約400年と推定され、戦国時代から存在しているものと伝わる。

二の丸東側、水戸二中グラウンド脇に設けられた見晴台。二の丸北側に位置し、眼下に那珂川を望む、水戸城の構造を体感できるスポット。近所に住む方たちからの寄付により設置されたとのことで、大変ありがたい。

二の丸東側、水戸二中グラウンド脇に設けられた見晴台。二の丸北側に位置し、眼下に那珂川を望む、水戸城の構造を体感できるスポット。近所に住む方たちからの寄付により設置されたとのことで、大変ありがたい。

水戸二中グラウンドを見る。かつての二の丸の敷地で、広大な平地が広がることがわかる

水戸二中グラウンドを見る。かつての二の丸の敷地で、広大な平地が広がることがわかる

見晴台から那珂川方向を見る。ベンチも設置され景色を眺めながら一休みできる。

見晴台から那珂川方向を見る。ベンチも設置され景色を眺めながら一休みできる。

見晴台から那珂川方向を見る

見晴台から那珂川方向を見る

二の丸杉山門向かいに水戸第三高校が建つ。石垣、土塀、門と雰囲気を醸し出す。ここにはかつて二の丸御殿があった。二の丸御殿は水戸城最大規模の建物で、水戸徳川家初代の徳川頼房が寛永の水戸城大整備(1625~1638)の際に建設された。

二の丸杉山門向かいに水戸第三高校が建つ。石垣、土塀、門と雰囲気を醸し出す。ここにはかつて二の丸御殿があった。二の丸御殿は水戸城最大規模の建物で、水戸徳川家初代の徳川頼房が寛永の水戸城大整備(1625~1638)の際に建設された。

水戸第三高校の校門。ここにはかつて二の丸御殿があった。水戸城最大規模の建物で、水戸徳川家初代の徳川頼房が寛永の水戸城大整備(1625~1638)の際に建設された。

水戸第三高校の校門。ここにはかつて二の丸御殿があった。水戸城最大規模の建物で、水戸徳川家初代の徳川頼房が寛永の水戸城大整備(1625~1638)の際に建設された。

二の丸の本丸寄り地点から西方向を見る。杉山門が見える

二の丸の本丸寄り地点から西方向を見る。杉山門が見える

二の丸南側。国道51号線脇にそびえる崖上に二の丸がある。

二の丸南側。国道51号線脇にそびえる崖上に二の丸がある。

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