弘道館。水戸城三の丸に設置された藩校で、非常に広大な面積で日本最大規模であった。現在でも正門、正庁、至善堂などが現存し、藩校の残存度としては全国随一である。
弘道館の正門。天保12年(1841)に建てられたもの。弘道館の正式な門で用途が限定され、藩主の出入りや正式行事の際のみに使われた。現在はここを右に進み中に入っていく。
弘道館の石碑と正門。徳川斉昭は藩主に就任すると藩政改革に取り組み、主なものにこの弘道館創設や、有名な偕楽園の建設などが挙げられる。江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜は水戸藩九代藩主・斉昭の第七子として産まれ、11歳まで水戸で過ごした。5歳の時には弘道館が設置され、この地で研鑽を重ねた。
弘道館正門の右の門柱。門柱に開いている穴は明治元年(1868)の弘道館戦争の際についた弾痕。弘道館の建物は、明治元年(1868)の水戸藩内の抗争である弘道館戦争で多くを焼失。明治五年(1872)の学制発布により閉鎖され、その後は県庁舎や学校の仮庁舎として使われた。
正門を内側から。正門は天保12年(1841)の開館時に建てられたもの。明治元年(1868)に起こった弘道館の戦いの跡が残る。内側から見る。堂々たる風格を備える。