白く見えるのが西池の跡。当初は南側土塁付近まで広がっていたが、佐竹氏の支配下に入った際の城の改修に伴い規模を縮小されたと思われる。
西池の北側には大きな溝が見られ、溝の北側の建物域と池の間を隔てる。池の中から出土した庭石が展示されている
建物域と西池のある区画とは土塁によっても隔てられている
白く見えるのが西池の跡。当初は南側土塁付近まで広がっていたが、佐竹氏の支配下に入った際の城の改修に伴い規模を縮小されたと思われる。縮小された池の大きさは南北約14メートル、東西約17メートル、深さは1メートル程であった
西池の北側には建物域があり、建物跡が展示されている。礎石が一部から検出され、礎石建物群(城主の屋敷)が建っていたと考えられる。