玉泉院丸口から場内を見る
玉泉院丸口からいもり堀を見る
玉泉院丸庭園は明治時代に一度無くなったが、平成27年に復元された。園内は写真のように整備が行き届いている。整備に当たっては、全体的に盛り土をし、往時の以降は地中に保存している。
玉泉院丸庭園の全景。池に大中小3つの島がうかび、橋で結ばれている。芝生と松の緑が鮮やか。庭園の向こうには美しい石組みが見える。水は辰巳用水から引いてきていた。
京都の庭師剣左衛門を招き、寛永11年(1634)に前田利常によって建設が始められた。その後、江戸時代を通じて拡張・改変が行われた。
庭園は絵図や発掘結果を元に復元された。石や木などには地物のものが用いられている。
玉泉院丸から見る石垣
玉泉院丸から見る三十間長屋
玉泉院とは二代・前田利長正室の名で、慶長19年(1614)に屋敷が建てられた。その後元和9年(1623)に玉泉院は死去し、その後玉泉院丸と呼ばれ庭園が造られた。
石橋とプラットフォーム状の船着場。石橋には戸室石が用いられている
兼六園は対外用途の庭園であったが、玉泉院庭園はプライベートな役割であった。
唐傘。資料や古写真などを参考に復元されたもの。天保三年(1832)に十三代・斉泰が作った。