日本の城写真集

日本の城写真集

郡上八幡城

(美濃国/岐阜県)

  • slide
  • slide
  • slide
  • slide
見どころ紹介

郡上八幡城は永禄2年(1559)に遠藤盛数が築いた城である。遠藤盛数は主家であった東家を滅ぼし、郡上の支配権を確立した。盛数が死去すると、子の慶隆が城主となった。当初は美濃の戦国大名・斎藤氏に従うが、斎藤氏が尾張の織田信長に滅ぼされると織田氏に従った。信長の死後は秀吉と敵対するが降伏し、天正16年(1588)に他地へ転封された。
代わって城主となったのは美濃西部出身の稲葉貞通であった。貞通は関ヶ原の合戦で始め西軍につき、もと郡上八幡城主の遠藤慶隆ら東軍の攻撃を受け落城した。貞通は東軍に降伏し活躍、戦後は豊後臼杵に加増転封された。郡上八幡には遠藤慶隆が復帰し、2万7千石を領した。
その後江戸時代の間、遠藤氏、井上氏、金森氏、青山氏が城主をつとめた。明治維新により廃城され建造物は撤去された。現在の天守は1933に木造で建築されたもので、大垣城の天守が模されている。

永禄2年に遠藤盛数が築いた城。天正16年に稲葉貞通が城主となるが関ヶ原の合戦で西軍につき、もと郡上八幡城主の遠藤慶隆ら東軍の攻撃を受け落城した。郡上八幡には遠藤慶隆が復帰し、2万7千石を領した。

(2008/11/12 作成)

公式動画チャンネル

見どころ

下段

下段

駐車場付近から見る石垣

西側隅櫓

西側隅櫓

南側隅櫓

南側隅櫓

天守

天守

現在の天守は1933に木造で建築されたもので、大垣城の天守が模されている。

郡上八幡城付近の地図

郡上八幡城が載っている本

よみがえる日本の城

図説江戸三百藩「城と陣屋」総覧―決定版 (東国編)

岐阜の山城ベスト50を歩く

おすすめの本一覧へ
Page Top