天守を西門外から見る
天守を本丸内西側から見る
天守西面
天守台石垣
天守台石垣
天守を北西(水之手門付近)から
慶安三年(1650)に大規模な洪水が発生し、岐阜から養老までの一帯が水没したと伝わる。明治29年(1896)にも大洪水が発生し、大垣城天守石垣まで水は達した。
明治29年(1896)の大洪水の際にはこの線まで水が達した
天守。最初に天守を上げたのは伊藤祐盛で、慶長年間の事であったと伝わる。
天守。天守は明治維新でも取り壊されることは無かったが、太平洋戦争時の空襲により焼失し、現在建つ天守は戦後の昭和34年に復興されたものである。
天守。天守と乾櫓は平成23年(2011)に屋根瓦の葺き替えと外壁工事が行われた。
付櫓
付櫓。こちらは現在の天守への入口となっている。
天守を城内から