赤坂見附石垣。左側の石垣は往時のもので、右手の低い石垣は復元されたもの。南北線赤坂見附駅9a出口を出るとすぐにあり、写真にも9a出口が見える。
赤坂見附石垣。右端の石を拡大して見る。表面がはつり加工されている。
赤坂見附石垣。石に刻まれた刻印が見える
かつての赤坂見附の石垣を見る。この石垣は外から枡形門に入って左手の石垣であった。
かつての赤坂見附の枡形内を見る。かつて大山に至る大山街道を扼する門であった。現在でも左には国道246号線(大山方面に向かう)が走る大動脈沿いに位置する。
赤坂見附石垣。直線状に切り出された石が積まれている。石はすべてが長方形という訳ではなく、三角形や多角形の石も見える
現地に設置されている看板。明治初期の赤坂御門のようすが分かる写真と、赤坂御門の変遷が分かる地図。この左には御門の解説文もあり、ありがたい。
赤坂見附石垣。赤坂見附の石垣は明治30年に撤去されたが、一部は残され現在でも見ることができる。写真の石垣は現存するもの。
赤坂見附の外側左手の石垣。このせり出す石垣で道幅を狭めた上で、高麗門を置いていた。
赤坂見附の外側左手の石垣。直線状に切られたサイズの大きい石が用いられているが、中には余ったスペースを埋めるかのような細長い石が見られる。表面もはつき加工されていて美しい。
赤坂見附の外側左手の石垣。台形の石、三角形の石、小さな平たい石、旗のような形の石…様々な形の石が組み合わさっている
赤坂見附の外側左手の石垣を城外側から見る。隅石のサイズが特に大きい。また奥の方に石垣が伸び、その手前側には外堀がある。
赤坂見附付近の歩道橋上からの一枚。下を通る大きな道は国道246号線。往時の赤坂見附は枡形門で、手前に高麗門と、右折して現在の道路上に櫓門があった。これら門などの建築部分は明治4年(1871)に撤去された。
歩道橋から見る赤坂見附の石垣。右側は枡形を形成する石垣。左のものは江戸城外堀に面するもので相当の高さがあることが分かる
赤坂見附から西方に延びる石垣と外堀。堀の右手は、かつて紀州和歌山藩の屋敷があった地である。左に見える道路は首都高速4号線。
弁慶橋から赤坂見附方向を見る