江戸城(武蔵国) 日本の城 写真集
▼大手門
▼巽櫓
▼桔梗門
▼坂下門
▼西の丸大手門
▼伏見櫓
▼桜田門
▼西の丸下
▼平川門
▼北桔橋門
▼二の丸
▼富士見櫓
▼富士見多聞櫓・蓮池濠
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日本の城 写真集


江戸城

江戸城は、扇谷上杉家の家臣である太田道灌が長禄元年(1457)に築いたのが始まりと言われる。この頃の江戸城は今よりも相当小さい規模であった。
その後江戸城は相模の北条氏の手に渡り、北条氏の関東支配の拠点となった。当時から江戸は海運により相模・房総方面と、大河により関東平野北部方面との交通の便の良い立地であった。
北条氏が豊臣秀吉によって滅ぼされると、関東には徳川家康が転封された。家康は北条氏の本拠城であった小田原城ではなく、江戸城を本拠城とした。しかしこの時点では家康は秀吉の家臣であり、城を大幅に拡張する事は避けていた。
関ヶ原合戦後、江戸幕府が開かれてからは江戸城は幕府の首都となった。同時に城の大幅な拡張に着手し、神田山を切り崩して平地とし、その土砂で日比谷入り江を埋め立てて城地を増やした。石垣に用いる巨石は伊豆半島から海路で運ばれ、城門の堅固な枡形石垣などが造られた。しかし城全体が石垣で囲われている訳ではなく、土塁も併用されている。これらの築城工事には全国の大名が動員され、「天下普請」によって築かれた
江戸城の天守閣は幕府の威厳を示すために日本一の規模を誇った。家康は豊臣家の大阪城よりも大きな天守閣を築き、秀忠はさらに大きな天守閣を建て、家光はさらにそれを再建した。しかし、明暦3年(1657)の明暦の大火(振袖火事)で焼失して以降、財政上の理由もあり再建されなかった。
城域は広大で、現在の隅田川、中央線沿いの神田川、赤坂・虎ノ門・新橋で囲まれる範囲までが外郭を構成した。また内郭は本丸、二の丸、三の丸、西の丸、北の丸などで構成される。西の丸は明治2年(1869)の遷都以降は皇居として使用され立ち入りができないが、それ以外の部分は東御苑、外苑、北の丸公園などとして開放されている。

(2009/10/18 作成)

江戸城 大手門 ▼大手門
江戸城 巽櫓 ▼巽櫓
江戸城 桔梗門 ▼桔梗門
江戸城 坂下門 ▼坂下門
江戸城 西の丸大手門 ▼西の丸大手門
江戸城 伏見櫓 ▼伏見櫓
江戸城 桜田門 ▼桜田門
江戸城 西の丸下 ▼西の丸下
江戸城 平川門 ▼平川門
江戸城 北桔橋門 ▼北桔橋門
江戸城 二の丸 ▼二の丸
江戸城 富士見櫓 ▼富士見櫓
江戸城 富士見多聞櫓・蓮池濠 ▼富士見多聞櫓・蓮池濠
江戸城 天守台 ▼天守台
江戸城 本丸 ▼本丸
江戸城 清水門 ▼清水門
江戸城 田安門 ▼田安門
江戸城 乾門 ▼乾門
江戸城 半蔵門 ▼半蔵門
江戸城 常盤橋門 ▼常盤橋門


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