近江国 / 滋賀県 / 収録写真枚数:42枚
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水口岡山城は天正13年(1585)に築かれた城で、本能寺の変後に権力を握った羽柴秀吉が配下の中村一氏に築かせたものである。その後、増田長盛、長束正家が城主を務めた。正家は関ヶ原合戦では西軍側となり改易され、廃城となった。その後、江戸時代に入ると西側の平地に水口城が築かれ、水口岡山城の石垣が水口城に運ばれたと言われる。かつては城の中心部は石垣造りだったようで、現在でも部分的に石垣が残る。また城は整備がされて歩きやすく、また景観も良い名城である。
(2013/3/24 作成)
当サイト管理人(けいすけ)が全写真を撮影。水口岡山城の人気の撮影スポットをご紹介します。
水口岡山城の南西山麓に駐車場があり、近くに城に入る道がある
展望台がある。城はもともと眺めが良いところにあるので、展望台があるならば登らない手はない
道を進むと突然眼前に現れる石垣。粗く石を積み上げた野面積み。
本丸西側には、石垣が上下段重なって存在する
本丸には天守があったと思われる土塁が東西2カ所あった。規模はほぼ同じなので、天守が二基並び立っていたのだろうか。本丸西天守跡からは五輪塔を石材として使った石段が発見された。
本丸にある阿迦之宮は、山麓にある大岡寺が山頂に奥の院として祠を祀ったもの。水口全町民と、関ヶ原合戦で敗れた長束正家の霊を祀っている
本丸東から北側に回り込むと、食い違い虎口跡がある。その虎口内本丸側城壁に石垣が築かれている
近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編 仁木宏、福島克彦編集
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