大坂城 京橋口 | 日本の城写真集

大坂城 京橋口 | 日本の城写真集

  • 大坂城 京橋口 京橋口付近の西外濠
  • 大坂城 京橋口 京橋口付近の北外濠
  • 大坂城 京橋口 京橋口の土橋。大手門と同じように石垣造りで規模が非常に大きい。
  • 大坂城 京橋口 京橋口の土橋。非常に幅が広い通路が伸びる。
  • 大坂城 京橋口 京橋口土橋の縁。階段状の石垣が設けられ上部に登りやすくなっている。
  • 大坂城 京橋口 京橋口のようす。京橋口の名は、北の寝屋川(旧大和川)に京都へ通じる京橋が架けられていた事に由来する。
  • 大坂城 京橋口 京橋口右手の石垣
  • 大坂城 京橋口 京橋口左手の石垣
  • 大坂城 京橋口 京橋口の石垣。石垣上には多聞櫓があったが、太平洋戦争時に焼失した。
  • 大坂城 京橋口 京橋口枡形左手の石垣。巨石が用いられている
  • 大坂城 京橋口 京橋口の肥後石。城内第二位の巨石。肥後の国主・加藤清正が運んだので肥後石と伝えられてきたが、実際には岡山藩の池田忠雄によって運ばれたものである。
  • 大坂城 京橋口 肥後石の右にも巨石が配されている
  • 大坂城 京橋口 京橋口の石垣には、石に細工を施した銃眼が見える
  • 大坂城 京橋口 縦長の石が用いられているのは珍しい
  • 大坂城 京橋口 京橋口枡形石垣を城内側から見る。右の木に隠れた部分に巨石が用いられている。
  • 大坂城 京橋口 切込ハギの石垣
  • 大坂城 京橋口 石垣に登る雁木状の石段が見える
大坂城写真撮影スポット紹介

京橋口の石垣。石垣上には多聞櫓があったが、太平洋戦争時に焼失した。京橋口の名は、北の寝屋川(旧大和川)に京都へ通じる京橋が架けられていた事に由来する。

写真

京橋口付近の西外濠

京橋口付近の西外濠

京橋口付近の北外濠

京橋口付近の北外濠

京橋口の土橋。大手門と同じように石垣造りで規模が非常に大きい。

京橋口の土橋。大手門と同じように石垣造りで規模が非常に大きい。

京橋口の土橋。非常に幅が広い通路が伸びる。

京橋口の土橋。非常に幅が広い通路が伸びる。

京橋口土橋の縁。階段状の石垣が設けられ上部に登りやすくなっている。

京橋口土橋の縁。階段状の石垣が設けられ上部に登りやすくなっている。

京橋口のようす。京橋口の名は、北の寝屋川(旧大和川)に京都へ通じる京橋が架けられていた事に由来する。

京橋口のようす。京橋口の名は、北の寝屋川(旧大和川)に京都へ通じる京橋が架けられていた事に由来する。

京橋口右手の石垣

京橋口右手の石垣

京橋口左手の石垣

京橋口左手の石垣

京橋口の石垣。石垣上には多聞櫓があったが、太平洋戦争時に焼失した。

京橋口の石垣。石垣上には多聞櫓があったが、太平洋戦争時に焼失した。

京橋口枡形左手の石垣。巨石が用いられている

京橋口枡形左手の石垣。巨石が用いられている

京橋口の肥後石。城内第二位の巨石。肥後の国主・加藤清正が運んだので肥後石と伝えられてきたが、実際には岡山藩の池田忠雄によって運ばれたものである。

京橋口の肥後石。城内第二位の巨石。肥後の国主・加藤清正が運んだので肥後石と伝えられてきたが、実際には岡山藩の池田忠雄によって運ばれたものである。

肥後石の右にも巨石が配されている

肥後石の右にも巨石が配されている

京橋口の石垣には、石に細工を施した銃眼が見える

京橋口の石垣には、石に細工を施した銃眼が見える

縦長の石が用いられているのは珍しい

縦長の石が用いられているのは珍しい

京橋口枡形石垣を城内側から見る。右の木に隠れた部分に巨石が用いられている。

京橋口枡形石垣を城内側から見る。右の木に隠れた部分に巨石が用いられている。

切込ハギの石垣

切込ハギの石垣

石垣に登る雁木状の石段が見える

石垣に登る雁木状の石段が見える

大坂城が載っている本

日本100名城公式ガイドブック

近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編

大阪府中世城館事典

豊臣大坂城

大坂落城 戦国終焉の舞台

築城の名手 藤堂高虎

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