都久夫須麻神社本殿。本殿の身舎はかつては京都の豊国廟にあり、さらには豊臣秀吉時代の大坂城の遺構でもあったと考えられている。あるいは極楽橋の2階部分であったか。そうであったら、ここで秀吉政権の幹部であった増田長盛や前田玄以が政務を執ることもあった。
都久夫須麻神社本殿を正面から。現在竹生島には都久夫須麻神社と宝厳寺の2つがあるが、これは明治4年の神仏分離に伴うもので、それまでは一体のものであった。
本殿を見上げる。庇部分は永禄10年(1567)に再建されたもの。竹生島は永禄元年(1558)に全山焼失する火災に見舞われ、その後の再建である。なお永禄3年には浅井長政の父・久政が家臣から隠居を迫られ竹生島に移されたとの話もある。
本殿の屋根
本殿を正面から。内部は撮影禁止なので、外観の写真しか撮れない