大手門。嘉永七年(1854)に地震で倒壊し、安政六年(1859)に再建された。その後明治維新の廃城に伴い民間に払い下げられたが、焼失した。現在の門は近年復元されたもの。
大手門。整備前は大手門の位置は分かっていなかったが、発掘調査により礎石根固め石が発掘され、大手門の位置が確定できた。復元に際しては、このあたりは市街地が進み元の位置での復元ができず、往時よりも50メートル北側に建てられている。
大手門の側面を見上げる
内側から見る大手門と番所
大手門の上部に登る階段
歴代城主が掲示されている
大手門礎石根固め石。発掘調査で発見されたもの。川沿いの地盤の強くない地で重い櫓門を長い年月の間支えるため、直径2m、深さ1.5m程度の穴に40cm程の大きさの河原石を4-5段積み上げ、ようやくその上に門の礎石を置き門柱を建てるという工夫が凝らされた。