二条城 西門 | 日本の城写真集

二条城 西門 | 日本の城写真集

  • 二条城 西門 二の丸西側の外堀を北から見る。左側に西門と、その正面に水濠に突出した石垣が見える。
  • 二条城 西門 西門を北から見る。右手に西門前に張り出す台が見える
  • 二条城 西門 西門を正面に見据える。寛永三年(1626)頃の建築で、当時は二条城の通用門で、木橋が架けられていた。木橋は明治以降に撤去されてしまった。
  • 二条城 西門 西門は石垣をくりぬくように門が設けられている。いわゆる穴門形式である。
  • 二条城 西門 西門の北側のようす。門の左右の石垣上には土塁が少し存在する。
  • 二条城 西門 西門の南側のようす
  • 二条城 西門 慶応三年(1867)、大政奉還後の12月12日に徳川慶喜はわずかな家来を連れ、二条城の裏門とも呼ぶべくこの西門から寂しく退去したという。
二条城写真撮影スポット紹介

寛永三年(1626)頃の建築。二条城の通用門であった。往時は木橋が架けられていたが明治以降に撤去され、今は濠を渡ることはできない。

写真

二の丸西側の外堀を北から見る。左側に西門と、その正面に水濠に突出した石垣が見える。

二の丸西側の外堀を北から見る。左側に西門と、その正面に水濠に突出した石垣が見える。

西門を北から見る。右手に西門前に張り出す台が見える

西門を北から見る。右手に西門前に張り出す台が見える

西門を正面に見据える。寛永三年(1626)頃の建築で、当時は二条城の通用門で、木橋が架けられていた。木橋は明治以降に撤去されてしまった。

西門を正面に見据える。寛永三年(1626)頃の建築で、当時は二条城の通用門で、木橋が架けられていた。木橋は明治以降に撤去されてしまった。

西門は石垣をくりぬくように門が設けられている。いわゆる穴門形式である。

西門は石垣をくりぬくように門が設けられている。いわゆる穴門形式である。

西門の北側のようす。門の左右の石垣上には土塁が少し存在する。

西門の北側のようす。門の左右の石垣上には土塁が少し存在する。

西門の南側のようす

西門の南側のようす

慶応三年(1867)、大政奉還後の12月12日に徳川慶喜はわずかな家来を連れ、二条城の裏門とも呼ぶべくこの西門から寂しく退去したという。

慶応三年(1867)、大政奉還後の12月12日に徳川慶喜はわずかな家来を連れ、二条城の裏門とも呼ぶべくこの西門から寂しく退去したという。

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