本丸のようす。本丸北東に建つ櫓風建築物が見える
細川忠興・玉(ガラシャ)像。本丸内に建つ。細川忠興は勝龍寺城城主・細川藤孝の子で、天正六年(1578)に妻に明智光秀の娘・玉を迎え、この勝龍寺城で新婚生活を約2年程送った。この夫婦はその後戦国の荒波の中、苦難を乗り越えて生きていくことになるが、何が待ち受けているのか当時の本人たちは当然知る由も無かった。
本丸に残る井戸跡。底には木を井桁に組み、その上に石をくみ上げたものだったとのこと。
本丸西側の土塁を城内側から。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。
本丸西側の土塁上のようす。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。
本丸北側に設けられた通用門。冠木門形式で城の景観と調和する。