勝龍寺城 本丸 | 日本の城写真集

勝龍寺城 本丸 | 日本の城写真集

  • 勝龍寺城 本丸 本丸のようす。本丸北東に建つ櫓風建築物が見える
  • 勝龍寺城 本丸 細川忠興・玉(ガラシャ)像。本丸内に建つ。細川忠興は勝龍寺城城主・細川藤孝の子で、天正六年(1578)に妻に明智光秀の娘・玉を迎え、この勝龍寺城で新婚生活を約2年程送った。この夫婦はその後戦国の荒波の中、苦難を乗り越えて生きていくことになるが、何が待ち受けているのか当時の本人たちは当然知る由も無かった。
  • 勝龍寺城 本丸 本丸に残る井戸跡。底には木を井桁に組み、その上に石をくみ上げたものだったとのこと。
  • 勝龍寺城 本丸 本丸西側の土塁を城内側から。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。
  • 勝龍寺城 本丸 本丸西側の土塁上のようす。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。
  • 勝龍寺城 本丸 本丸北側に設けられた通用門。冠木門形式で城の景観と調和する。
勝龍寺城写真撮影スポット紹介

本丸には細川忠興・玉(ガラシャ)像が立つ。細川忠興は勝龍寺城城主・細川藤孝の子で、妻に明智光秀の娘・ガラシャを迎え、この勝龍寺城で新婚生活を送った。

写真

本丸のようす。本丸北東に建つ櫓風建築物が見える

本丸のようす。本丸北東に建つ櫓風建築物が見える

細川忠興・玉(ガラシャ)像。本丸内に建つ。細川忠興は勝龍寺城城主・細川藤孝の子で、天正六年(1578)に妻に明智光秀の娘・玉を迎え、この勝龍寺城で新婚生活を約2年程送った。この夫婦はその後戦国の荒波の中、苦難を乗り越えて生きていくことになるが、何が待ち受けているのか当時の本人たちは当然知る由も無かった。

細川忠興・玉(ガラシャ)像。本丸内に建つ。細川忠興は勝龍寺城城主・細川藤孝の子で、天正六年(1578)に妻に明智光秀の娘・玉を迎え、この勝龍寺城で新婚生活を約2年程送った。この夫婦はその後戦国の荒波の中、苦難を乗り越えて生きていくことになるが、何が待ち受けているのか当時の本人たちは当然知る由も無かった。

本丸に残る井戸跡。底には木を井桁に組み、その上に石をくみ上げたものだったとのこと。

本丸に残る井戸跡。底には木を井桁に組み、その上に石をくみ上げたものだったとのこと。

本丸西側の土塁を城内側から。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。

本丸西側の土塁を城内側から。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。

本丸西側の土塁上のようす。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。

本丸西側の土塁上のようす。土塁は相当の高さがあり眺望に優れる。ここに天守に相当する建物があったと考えられる。

本丸北側に設けられた通用門。冠木門形式で城の景観と調和する。

本丸北側に設けられた通用門。冠木門形式で城の景観と調和する。

[PR]勝龍寺城が載っている本

近畿の名城を歩く 滋賀・京都・奈良編 仁木宏、福島克彦編集

ワイド&パノラマ 鳥瞰・復元イラスト 日本の城 香川元太郎(イラスト)

今日から歩ける!超入門 山城へGO! 萩原さちこ

よみがえる日本の城19

おすすめの本一覧へ
Page Top