九戸城への道の途中にある案内塔。この塔の扉の中に城のパンフレットが入っている。
九戸城への道は大手門脇堀(二の丸と松の丸、在府小路(武家屋敷跡)を隔てる堀)を通る。この堀は幅約60mもあるとのこと。
九戸城への道。豊臣秀吉の奥州仕置軍には当時の会津の大名・蒲生氏郷もあった。氏郷の陣にはアイヌも在し、氏郷がアイヌの持つ毒矢を戦いで用いる狙いがあったとのことである。
二の丸を堀跡(道路)から見る
二の丸の岩肌。城が要害の地にあることが分かる。豊臣秀吉の奥州仕置軍を囲んだ際には、攻撃側は竹束を作り堀際に迫った。九戸城に最も接近したのは徳川家康配下の井伊直政の軍で、九戸氏からの降伏の意思は井伊軍に伝えられたとの記録もある。