二の丸のようす。平成28年(2016)に始まった調査で全長50メートル弱の大規模な虎口や土橋の両側に石垣が築かれていたことが判明。豊臣政権に反抗した勢力が発生したこの地に、中央の石垣造りの城が出現し、現地勢力に対する威圧効果があったと思われる。
二の丸 搦手門跡のようす。石沢館・若狭館・三の丸方面から二の丸に入るための虎口。この道は城の北に流れる白鳥川まで通じている
二の丸 搦手門跡 石碑
二の丸跡石碑。二の丸からは発掘調査で九戸氏時代の城の遺構が発見された。L字型の建物跡や大きな竪穴式建物跡など南部氏の城に共通するものが見つかった。
二の丸と本丸を分ける堀
二の丸と本丸を分ける堀
二の丸から見る本丸。二の丸は三の丸に次いで広い郭で、本丸をL字型に囲っている。
二の丸のようす