首里城 守礼門 | 日本の城写真集

首里城 守礼門 | 日本の城写真集

  • 首里城 守礼門 1527~1555の間に建てられたが、太平洋戦争で失われ、その後再建された。城の大手門の役割を果たすが、枡形虎口に櫓門・高麗門からなる石垣造りのケースが多い日本の城とは異なり、防御性は無い。
  • 首里城 守礼門 「守禮之邦」の扁額。当初は中国からの冊封使が城に来る際にだけ掲げられたが、やがて常時掲げられるようになり「守礼門」と呼ばれるようになった。
  • 首里城 守礼門 守礼門を内側から。二重の屋根が特徴的。
  • 首里城 守礼門 守礼門の屋根を見上げる。細かい文様で彩られている。
  • 首里城 守礼門 守礼門脇の石垣
  • 首里城 守礼門 守礼門の南隣のスペース。芝生敷きでアイスクリーム屋などもあり、くつろげる空間になっている。
  • 首里城 守礼門 並び立つ石碑。「国王頌徳碑」と「眞珠湊碑文」。ともに1522年の建立。現在の石碑は2006年に復元されたもの。
首里城写真撮影スポット紹介

1527~1555の間に建てられたが、太平洋戦争で失われ、その後再建された。城の大手門の役割を果たす。日本の城の大手門とは異なり、防御性は無い。

写真

1527~1555の間に建てられたが、太平洋戦争で失われ、その後再建された。城の大手門の役割を果たすが、枡形虎口に櫓門・高麗門からなる石垣造りのケースが多い日本の城とは異なり、防御性は無い。

1527~1555の間に建てられたが、太平洋戦争で失われ、その後再建された。城の大手門の役割を果たすが、枡形虎口に櫓門・高麗門からなる石垣造りのケースが多い日本の城とは異なり、防御性は無い。

「守禮之邦」の扁額。当初は中国からの冊封使が城に来る際にだけ掲げられたが、やがて常時掲げられるようになり「守礼門」と呼ばれるようになった。

「守禮之邦」の扁額。当初は中国からの冊封使が城に来る際にだけ掲げられたが、やがて常時掲げられるようになり「守礼門」と呼ばれるようになった。

守礼門を内側から。二重の屋根が特徴的。

守礼門を内側から。二重の屋根が特徴的。

守礼門の屋根を見上げる。細かい文様で彩られている。

守礼門の屋根を見上げる。細かい文様で彩られている。

守礼門脇の石垣

守礼門脇の石垣

守礼門の南隣のスペース。芝生敷きでアイスクリーム屋などもあり、くつろげる空間になっている。

守礼門の南隣のスペース。芝生敷きでアイスクリーム屋などもあり、くつろげる空間になっている。

並び立つ石碑。「国王頌徳碑」と「眞珠湊碑文」。ともに1522年の建立。現在の石碑は2006年に復元されたもの。

並び立つ石碑。「国王頌徳碑」と「眞珠湊碑文」。ともに1522年の建立。現在の石碑は2006年に復元されたもの。

首里城が載っている本

日本100名城公式ガイドブック

沖縄の名城を歩く 上里隆史・山本正昭編集

琉球王国のグスク

尚氏と首里城 上里隆史著

おしろツアーズ

47都道府県別 よみがえる日本の城 香川元太郎著

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