大手門跡北側石垣と鐘楼。往時は大手門前には水濠と土橋があり、土橋を渡って左折すると冠木門、さらに枡形内を右折すると櫓門、という枡形門であった。大手門を入ると三の丸で藩の家老級の家臣の屋敷が並んでいた。大手門から三の丸を西に向かうと馬出門に至る。
大手門跡北側石垣上に建つ鐘楼
大手門跡北側石垣上には鐘楼が建つ。鐘は当初は浜手御門にあったものが、明治29年(1896)に裁判所の東北隅に移され、さらに大正年間に現在の場所に移されたものの太平洋戦争の軍需資材として供出され、昭和28年(1953)に小田原寺院団によって現在見られる鐘が造られた。
大手門跡付近前の東海道(現在の国道1号線)江戸方面を見る。この先約500m先の現在の新宿交差点までの区間は将軍専用の御成道とされ、藩主ですらこの道を通る事を遠慮したと言われる。