高遠城 | 日本の城写真集

高遠城 | 日本の城写真集

高遠城

信濃国長野県 / 収録写真枚数:51枚

  • 高遠城 大手門跡
  • 高遠城 伝大手門
  • 高遠城 三の丸・勘助曲輪
  • 高遠城 三の丸・進徳館
  • 高遠城 二の丸
  • 高遠城 本丸
  • 高遠城 太鼓櫓
  • 高遠城 南曲輪・法幢院曲輪
  • 高遠城 移築城門(久保寺山門)
高遠城の写真撮影スポット紹介

高遠城は、戦国時代には諏訪氏の一族である高遠氏の支配下にあったが、天文14年(1545)に甲斐の武田信玄が高遠氏を降伏させた。以降は高遠城は武田氏が支配し、秋山信友、武田勝頼、武田信廉(信玄の弟)が城主を務めた。
やがて武田氏は弱体化し、天正10年(1582)には織田信長の侵攻を受ける。高遠城主であった信玄の五男・仁科盛信は籠城するが、大軍には敵わず落城、盛信は切腹した。
武田氏滅亡後は、元武田氏の家臣で徳川氏に降伏した保科氏が城主をつとめた。保科氏は江戸時代には高遠藩藩主となり、また二代将軍・秀忠の隠し子を預かり養子として迎えた。これが保科正之であり、三代将軍・家光の弟として幕府の要職を歴任した。やがて正之は山形へ転封され、鳥居氏、内藤氏が藩主となり、幕末に至った。

日本百名城。高遠氏の支配下にあったが武田氏が支配し、秋山信友、武田勝頼、武田信廉が城主を務めた。天正10年には織田信長の侵攻を受け、城主であった信玄の五男・仁科盛信は籠城するが、大軍には敵わず落城、盛信は切腹した。

(2008/11/14 作成、2019/5/5 更新)

高遠城の写真撮影スポット

当サイト管理人(けいすけ)が全写真を撮影。名古屋城の人気の撮影スポットをご紹介します。

高遠城付近の地図

高遠城が載っている本

日本100名城公式ガイドブック

甲信越の名城を歩く 長野編 中澤克昭、河西克造編集

長野の山城ベスト50を歩く

歴史作家の城めぐり 伊東潤著、西股総生監修

戦国武田の城 中田正光著

廃城をゆく 2

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