日本の城写真集

日本の城写真集

名古屋城

(尾張国/愛知県)

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見どころ紹介

熊本城、大坂城とともに日本三名城にあげられている。太平洋戦争の空襲により大小天守、本丸御殿はじめ建物の殆どが焼失したが、天守は1957年に外観復元された。本丸御殿は当初は慶長20年(1615)に建てられ、藩主の御殿として使用されたが、寛永11年(1634)には将軍の御殿として上洛殿が増築された。太平洋戦争の空襲で焼失したのち、平成21年から実測図面や写真などを資料として伝統工法に基づいた復元が行われ、平成25年に玄関、表書院が完成し公開された。2018年に全体が完成する予定である。
元々、名古屋城のある場所には那古野城という織田氏の支配する城があったが、この城は織田信長の支配下の時に廃城となった。その後徳川家康が慶長15年(1610)から西国大名を動員した天下普請で築城を開始し、慶長17年(1612年)に完成した。完成後は家康の九男・義直の居城となり、「尾張名古屋は城でもつ」と歌われるなど、その後江戸時代を通じて尾張藩の居城として栄えた。天守の屋根には金の鯱がとりつけられていたのが特徴であった。

日本三名城、日本百名城。天守は1957年に外観復元された。徳川家康が慶長15年(1610)から西国大名を動員した天下普請で築城を開始し、同17年に完成。家康の九男・義直の居城となり、江戸時代を通じて尾張藩の居城として栄えた。

(2007/6/1 作成、2010/11/21 更新、2013/8/12 更新)

公式動画チャンネル

見どころ

二之丸東門跡

二之丸東門跡

二之丸

二之丸

埋門跡。緊急事態の藩主脱出用の門であった。

東南隅櫓

東南隅櫓

東南隅櫓を南東側から

本丸表門

本丸表門

表二之門を外から。鉄板張りの門である。

本丸東門

本丸東門

本丸東門二之門を内から。もとは二の丸東鉄門にあったもので、昭和48年に現在の場所に復元された。

小天守

小天守

天守は太平洋戦争の際に焼失し、その後1957年に鉄筋コンクリート製で外観復元された。

大天守

大天守

天守は太平洋戦争の際に焼失し、その後1957年に鉄筋コンクリート製で外観復元された。

天守内

天守内

大天守からの眺め

本丸不明門

本丸不明門

不明門を内側から

深井丸

深井丸

石垣の刻印

西北隅櫓

西北隅櫓

外濠越しに見る西北隅櫓

西之丸

西之丸

手前は二之丸、奥側は西之丸

西南隅櫓

西南隅櫓

西南隅櫓(手前)と大天守

正門

正門

正門を外側から

二之丸大手門

二之丸大手門

二之丸大手二之門を外側から

本丸御殿(玄関)

本丸御殿(玄関)

玄関は将軍などの正式な来客が本丸御殿に上がる場所。車寄には華麗な唐破風が載り、本丸御殿で最も太い柱が使用されている。

本丸御殿(表書院)

本丸御殿(表書院)

表書院は江戸時代は広間と呼ばれ、藩主が来客や家臣達と公式に謁見する場であった。

本町門跡

本町門跡

本町門跡西側の石垣。本町門は三の丸南側の門で、三の丸正門の役を果たした。

御園門跡

御園門跡

御園門跡東側の空堀。御園門跡の西は三の丸の西端となっており、櫓台と思われる石垣が見える

巾下門跡

巾下門跡

辰之口水道大樋。外濠の水位を一定に保つための施設。水道の西側は堀川に繋がり、外濠の余分な水は堀川に流れるようになっている。

東門跡

東門跡

その名の通り、三の丸の東側の門であった。名鉄瀬戸線や道路の拡幅で石垣が破壊されたものの、現在でもその名残を残す。

三の丸庭園

三の丸庭園

移築藩校(永照寺本堂)

移築藩校(永照寺本堂)

天明7年(1787年)に建てられた尾張藩校「明倫堂」を明治6年に本堂として移築・改造されたもの。

名古屋城付近の地図

名古屋城が載っている本

わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34

日本100名城めぐりの旅

天下人の城―信長から秀吉・家康へ

信長の城

日本100名城公式ガイドブック

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