馬出門前の様子。馬出門は二の丸大手に当たる門。枡形門形式であり、馬出門を抜けると馬屋曲輪に入る。
馬出門前の様子。近年整備事業が行われ、寛文12年(1672)当時の姿が復元された。整備事業は、平成15・16年度に発掘調査と整備計画立案、17・18年度に石垣復元、19・20年度に門と土塀の復元が行われた。
馬出門前の様子。土橋を渡り切ったところに門は無く、少し奥に入ったところに馬出門が見える。かつて土橋を渡り切ったところに門があったそうだが、寛文年間の改修時に現在の姿になった。発掘調査時に枡形石垣の根石が発見されたことで、正しい門の位置が判明した。
馬出門。2009年に復元されたもの。門の形式は絵図でははっきりと分からなかったが、発掘調査の結果高麗門と判明した。左右の石垣もこの時に安山岩を用いて積まれたもので、左手の石垣は真鶴産の「小松石」を、右手の石垣は隅石を除き石垣山城近くの江戸城の石切場(早川石丁場)から取られた石を用いた。
馬出門を枡形内から見る。柱や扉はケヤキ、屋根の下地はサワラ、土塀の控柱はクリ、土塀などの柱はヒノキと様々な材料が使われている。門扉の上部は格子状になっていて、門を閉じても敵に鉄砲などで攻撃できる構造。
枡形内のようす
枡形内から二の丸を見る。二の丸側には土塀は無く、もし枡形が攻撃側に占拠されたら、守備側は二の丸から枡形内に向かって攻撃を行える構造
枡形内から二の丸を見る。左の石垣と土塀は銅門の枡形の一部
枡形内から二の丸との間を隔てる水濠を見る。土塀は伝統的な工法で復元され、荒壁塗りから漆喰塗りまで7~8回の塗り・乾かしを繰り返すことでようやく完成した。その工期は8か月と、馬出門復元の工程で最も長い期間を要した。