大坂城 南仕切門跡 | 日本の城写真集

大坂城 南仕切門跡 | 日本の城写真集

  • 大坂城 南仕切門跡 南仕切門跡。もとは二の丸南部への出入り口にあたり、左右の石垣の間に南仕切門とよばれる城門があった。右側の石垣の上に、太鼓を蔵する小さな二階櫓があり太鼓櫓と呼ばれていた。
  • 大坂城 南仕切門跡 南仕切門跡
  • 大坂城 南仕切門跡 南仕切門跡の石垣
  • 大坂城 南仕切門跡 南仕切門跡の石垣
  • 大坂城 南仕切門跡 石山本願寺推定地。明応五年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立した。天文元年に山科本願寺が焼き打ちされると、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展し、広大な寺内町が造営された。これが大阪の原型となったと考えられる。その後十一世顕如の時代に信長との石山合戦に敗れ、本願寺教団は石山本願寺を退去し、のちに京都堀川に移転する。
大坂城写真撮影スポット紹介

石山本願寺推定地。当地は天文元年には本願寺の本拠となり、広大な寺内町が造営された。十一世顕如の時代に信長との石山合戦に敗れこの地から退去した。

写真

南仕切門跡。もとは二の丸南部への出入り口にあたり、左右の石垣の間に南仕切門とよばれる城門があった。右側の石垣の上に、太鼓を蔵する小さな二階櫓があり太鼓櫓と呼ばれていた。

南仕切門跡。もとは二の丸南部への出入り口にあたり、左右の石垣の間に南仕切門とよばれる城門があった。右側の石垣の上に、太鼓を蔵する小さな二階櫓があり太鼓櫓と呼ばれていた。

南仕切門跡

南仕切門跡

南仕切門跡の石垣

南仕切門跡の石垣

南仕切門跡の石垣

南仕切門跡の石垣

石山本願寺推定地。明応五年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立した。天文元年に山科本願寺が焼き打ちされると、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展し、広大な寺内町が造営された。これが大阪の原型となったと考えられる。その後十一世顕如の時代に信長との石山合戦に敗れ、本願寺教団は石山本願寺を退去し、のちに京都堀川に移転する。

石山本願寺推定地。明応五年(1496)に、本願寺八世蓮如が生玉庄の大坂に大坂坊舎を建立した。天文元年に山科本願寺が焼き打ちされると、本願寺教団の本拠である石山本願寺に発展し、広大な寺内町が造営された。これが大阪の原型となったと考えられる。その後十一世顕如の時代に信長との石山合戦に敗れ、本願寺教団は石山本願寺を退去し、のちに京都堀川に移転する。

大坂城が載っている本

日本100名城公式ガイドブック

近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編

大阪府中世城館事典

豊臣大坂城

大坂落城 戦国終焉の舞台

築城の名手 藤堂高虎

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