右は二の門右側の二の丸跡へ登る石段。左の石垣中には大きな鏡石が見える。そこにはなんと、著名な歌人の若山牧水の歌が刻まれている。
二の門右側の二の丸跡へ登る石段。三の丸の先端からは三の門から入ったところを上から見下ろすことができる。
二の丸跡のようす。二の丸は面積が広く、かつて御殿があった。武田家滅亡の際には、ここで勝頼の従弟・武田信豊が最期を迎えたと言われる。
二の丸跡石碑。「旧白鶴城という徳川秀忠が関ヶ原合戦に赴く際逗留したところ」とあり、ここを拠点に上田の真田を攻めた。
二の丸から見下ろす。左手の石垣上に二の門(櫓門)があった。左奥の石垣上は南の丸、右手には北の丸があり、写真に見える一段下の空間は二の門跡を突破した敵を包囲する枡形になっている。万一二の門が突破されたら、櫓門内を通って南の丸に退避することができる構造であった。