三の門を入ってすぐ右手に見える二の丸の石垣
右手に二の丸の石垣を見ながら通路を先に進むが、この直線の道は後世に造られたもので、本来の道は左手の下の道から上がってくるルートだったとのこと。右手の石垣は明治四年(1871)に北国街道を整備する際に抜かれてしまい、その後は火山灰の崖が剥き出していたが、昭和59年(1984)に往時より大きな石を用いて作り直されたものである。
三の門から二の門への本来の道。写真で見える石垣を左から回り込んで進む
二の門の手前の屈折。右折すると二の門の櫓門があった。
二の門跡左手の石垣
二の門跡右手の石垣。
二の門跡付近から三の門方向を振り返る
二の門跡を内側から。左右に見える石垣上に往時は櫓門が建っていた。櫓門は敵兵の侵入を防ぐと共に、二の丸から南の丸への通路の役を兼ね備えていた。万一二の門突破されたら、二の丸の塀は櫓門を通って南の丸に撤退することができた。
二の門を入って左を見る。左手石垣上に南の丸。右手には北の丸がある。後ろには二の丸がある。