和歌山城 | 日本の城写真集

和歌山城 | 日本の城写真集

和歌山城

紀伊国和歌山県 / 収録写真枚数:227枚

  • 和歌山城 大手門・一の橋
  • 和歌山城 一中門跡
  • 和歌山城 岡中門跡
  • 和歌山城 岡口門
  • 和歌山城 表坂
  • 和歌山城 松の丸
  • 和歌山城 一の門跡
  • 和歌山城 天守
  • 和歌山城 二之御門(楠木門)
  • 和歌山城 二之御門櫓
  • 和歌山城 乾櫓
  • 和歌山城 御台所
  • 和歌山城 小天守
  • 和歌山城 本丸跡
  • 和歌山城 裏坂
  • 和歌山城 二の丸
  • 和歌山城 御廊下橋
  • 和歌山城 西の丸庭園・紅葉渓庭園
  • 和歌山城 鶴の渓・鶴の門
  • 和歌山城 砂の丸
  • 和歌山城 追廻門
  • 和歌山城 不明門跡
  • 和歌山城 新裏坂
  • 和歌山城 南の丸
  • 和歌山城 移築御殿(光恩寺庫裏)
  • 和歌山城 養翠園
  • 和歌山城 湊御殿
和歌山城の写真撮影スポット紹介

和歌山城は紀伊を支配下に置いた豊臣秀吉の弟・秀長が天正13年(1585)に築いた城である。城は虎伏山に築かれたため、虎伏城とも呼ばれる。築城には、当時は秀長の部下で、後に名城を数多く築く事となる藤堂高虎も携わったと言う。桑山氏が城代を務めるが、桑山氏は関ヶ原合戦で東軍につき、大和新庄に転封された。代わって浅野幸長が和歌山城に入り、城を拡張し、この時下見板張りの黒い天守が建てられた。
さらに元和五年(1619)には浅野家が広島へ転封となり、かわりに駿府城から徳川家康の十男・頼宣が城主となった。これが徳川御三家の紀州藩の始まりである。これに伴って城の拡張が行われ、かつて築城に携わった藤堂高虎が再度拡張に関連したと伝わる。弘化三年(1846)に落雷による火災が発生し、天守などを焼失したが、嘉永三年(1850)に再建された。
明治維新により廃城となり、さらに太平洋戦争の空襲により嘉永年間に建てられた国宝の天守も焼失した。現在の天守は昭和33年に再建されたものである。

日本百名城。紀伊を支配下に置いた豊臣秀吉の弟・秀長が天正13年(1585)に築いた城。関ヶ原合戦後には浅野幸長が入り城を拡張した。さらに元和五年(1619)には浅野家が広島へ転封となり、かわりに駿府城から家康の十男・頼宣が城主となった。これが徳川御三家の紀州藩の始まりである。太平洋戦争の空襲により天守等を焼失した。現在の天守は昭和33年に再建されたもの。

(2007/8/10 作成、2013/4/15 更新)

和歌山城の写真撮影スポット

当サイト管理人(けいすけ)が全写真を撮影。名古屋城の人気の撮影スポットをご紹介します。

和歌山城付近の地図

和歌山城が載っている本

日本100名城公式ガイドブック

近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編

築城の名手 藤堂高虎

47都道府県別 よみがえる日本の城

歴史REAL 天下人の城

Discover Japan 2013年6月号

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