備中松山城 | 日本の城写真集

備中松山城 | 日本の城写真集

備中松山城

備中国岡山県 / 収録写真枚数:132枚

  • 備中松山城 鞴峠
  • 備中松山城 中太鼓の丸
  • 備中松山城 大手門跡
  • 備中松山城 岩盤上の石垣
  • 備中松山城 土塀
  • 備中松山城 三の丸
  • 備中松山城 黒門跡
  • 備中松山城 厩曲輪
  • 備中松山城 鉄門跡
  • 備中松山城 二の丸
  • 備中松山城 五の平櫓
  • 備中松山城 本丸南御門
  • 備中松山城 六の平櫓
  • 備中松山城 本丸
  • 備中松山城 天守
  • 備中松山城 天守内
  • 備中松山城 本丸東御門
  • 備中松山城 腕木御門
  • 備中松山城 二重櫓
  • 備中松山城 搦手門跡
  • 備中松山城 水の手門脇曲輪
  • 備中松山城 水の手門跡
  • 備中松山城 後曲輪
  • 備中松山城 堀切
備中松山城の写真撮影スポット紹介

備中松山城は、延応二年(1240)に秋庭重信が築いたのが始まりと言われ、その後、高橋氏、庄氏らの城であった。
永禄四年(1561)には毛利氏と同盟関係にあった備中の戦国大名・三村家親が攻略し支配下に置いた。やがて毛利氏が三村家と敵対していた宇喜多家と同盟を結んだため、三村家は織田家と同盟を結んだ。これを受けて毛利家は三村家を攻撃し、備中松山城も落城した。
毛利氏は関ヶ原合戦で敗れ、小堀正次が城代として入城した。備中松山城は山城であり、日常の政務には不便であったため、山麓に別に居館が構えられた。
日本に十二城だけ存在する天守が現存する城であり、また櫓や土壁も現存する。

天守の現存する城。三大山城、日本百名城。備中の戦国大名・三村家親が攻略したが、毛利家が三村家を攻撃し落城した。毛利氏は関ヶ原合戦で敗れ、小堀正次が城代として入城した。日常の政務には不便であったため山麓に居館が構えられた。

(2007/3/11 作成、2017/6/19 更新)

備中松山城の写真撮影スポット

当サイト管理人(けいすけ)が全写真を撮影。名古屋城の人気の撮影スポットをご紹介します。

備中松山城付近の地図

備中松山城が載っている本

日本100名城公式ガイドブック

47都道府県別 よみがえる日本の城 香川元太郎著

今日から歩ける!超入門 山城へGO! 萩原さちこ

司馬遼太郎と城を歩く 司馬 遼太郎

レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版 來本雅之著

カラー図解 城の攻め方・つくり方 中井均監修・かみゆ歴史編集部編著

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