日本の城写真集

日本の城写真集

姫路城

(播磨国/兵庫県)

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見どころ紹介

姫路城は、鎌倉幕府の滅亡した元弘3年(1333)に赤松則村が砦を築いたのが始まりと言われる。その後小寺氏・黒田氏が城主となった。ただし、16世紀中頃に黒田氏が築城したという説もある。天正8年(1580)には、当時の城主・黒田孝高は、羽柴秀吉に姫路城を毛利氏討伐の拠点とすることを薦め、入城した秀吉は3層の天守を築いた。
関ヶ原合戦後には徳川家康の女婿・池田輝政が城主となった。輝政は城域を拡大し、また5層7階の大天守と付属する三つの小天守を築いた。池田氏が3代続いた後、本多忠政が城主となった。忠政の長男・忠刻は徳川秀忠の長女・千姫を娶り、千姫のために西の丸を整備した。
姫路城は落雷や幕末の動乱、太平洋戦争といった難局を全て乗り切ってきた城で、まさに日本を代表する城郭である。これだけ多くの建造物が現存する城は他には無く、世界遺産、国宝でもある。この貴重な城を残すべく、昭和10年から39年にかけて昭和の大修理が行われ、天守の基盤をコンクリート化するなど城域全体の修築が行われた。さらに、平成21年から27年にかけて大天守保存修理工事(平成の大修理)が行われた。

世界遺産、国宝。三大平山城、日本百名城。天守以外にも多くの建造物が現存し、往時の城の姿を知ることができる。1580年に羽柴秀吉が毛利氏討伐の拠点とした。関ヶ原合戦後に池田輝政が天守を、本多忠政が西の丸を整備し現在の姿となった。

(2006/10/1 作成、2008/1/26 更新、2013/9/15 更新、2016/7/3 更新)

公式動画チャンネル

見どころ

大手門

大手門

昭和13年に建てられた高麗門。江戸時代の門とは位置・形状ともに異なる。江戸時代の大手門は三重の門で護られていた。

三の丸

三の丸

三の丸から見る天守群正面。平成の大修理完了にあわせ、天守群前の木々が切り払われ、より天守群が見えるようになった。

菱の門

菱の門

三の丸から二の丸への門で、桃山時代の様式を残す。華頭窓があるのが特徴。

いの門

いの門

ろの門

ろの門

はの門

はの門

にの門

にの門

にの門は櫓の下をくぐって通り抜ける。天井が低く、槍をもった状態では通り抜けが困難。また天井から城兵が攻撃を仕掛けてくる。

ほの門

ほの門

左の建物は渡り櫓、右の石垣上の茶色い細長いものが油壁(横から見ている)

腰曲輪渡櫓

腰曲輪渡櫓

腰曲輪の渡櫓の一番端。右側に櫓が続く。

への門

への門

との一門

との一門

城内の他の門とは異なり、門櫓は板張りで二階の窓は突き上げ戸となっている。置塩城の大手門を移築したとも言われる。

との二門

との二門

との一門から、との二門、との三門、との四門と旧坂に頑強な門を設けて城の護りを固めていた。現在との三門は無い。

との四門

との四門

ちの門

ちの門

2本の柱を上に冠木を置き、腕木によって軒桁をささえ、切妻の屋根を置いたもの。

備前門

備前門

備前門脇の石垣には石棺が用いられている。築城の際、石不足のため当時姫山にあった古墳の石棺をこの石垣に使用した。

水の一門~五門

水の一門~五門

水の一門。

天守群

天守群

三国堀付近から見る天守群。左から乾小天守、西小天守、大天守。

西小天守

西小天守

乾小天守

乾小天守

東小天守

東小天守

東小天守と大天守

大天守

大天守

備前丸から見る大天守。備前丸と呼ばれるのは、姫路藩主・池田輝政の次男忠継が備前国を与えられたが幼少であったので、ここに住んでいたためと言われている。

天守内

天守内

天守からの眺め

帯の櫓

帯の櫓

帯の櫓下にある、腹切丸への入口

腹切丸

腹切丸

帯郭櫓。この櫓は濠を渡ってくる敵を狭間から攻撃できる。

りの門

りの門

慶長四年(1599)の墨書が発見されたため、この時代の建物ということが判明した。

太鼓櫓

太鼓櫓

ぬの門

ぬの門

ぬの門前の鏡石

リのニ渡櫓・リの一渡櫓・チの櫓

リのニ渡櫓・リの一渡櫓・チの櫓

リのニ渡櫓。左に見えるのはぬの門。

るの門(穴門)

るの門(穴門)

この門は石垣を穴を開けるように積んで門とした。

西の丸

西の丸

内濠越しに見る西の丸。西の丸は千姫(徳川秀忠の長女)のための御殿が建てられた場所。千姫は大坂城の豊臣秀頼に嫁いでいたが、豊臣家の滅亡後、本多忠刻に嫁いだ。

西の丸カの櫓

西の丸カの櫓

西の丸ワの櫓

西の丸ワの櫓

ワの櫓から渡り櫓に入り内部を見学できる

西の丸ヌの櫓

西の丸ヌの櫓

ヌの櫓と化粧櫓を結ぶ渡り櫓(カの渡櫓)。石垣が二段になっており、建物が石垣上段よりも張りだす掛け造りとなっている。

西の丸化粧櫓

西の丸化粧櫓

姫路城主の本多家に嫁いだ千姫(徳川秀忠の長女)が使用した部屋と言われる。

中ノ門跡(外郭)

中ノ門跡(外郭)

中ノ門は中曲輪南側の正門。南に土橋と第一の門、枡形を左に折れ第二の門である櫓門を設ける形式であった。

鵰門跡(外郭)

鵰門跡(外郭)

鵰門(くまたかもん)跡と読む。枡形の石が良く残っており、往時の様子が分かる。中曲輪南側の門で、中ノ門の西、埋門の東に位置した。

埋門跡(外郭)

埋門跡(外郭)

埋門石垣。埋門は西は船場川に面し、門脇には中曲輪南西隅櫓が建っていた。枡形門だが、前方の石垣の高さは低い。

車門跡(外郭)

車門跡(外郭)

中曲輪南西に設けられた門。車門は城の西側を流れる船場川に面し、また西国街道にも面する重要な門。二重の枡形による厳重な守りを誇った。

市ノ橋門跡(外郭)

市ノ橋門跡(外郭)

市ノ橋門跡の石垣。市ノ橋門は中曲輪西側の門で、城の西側を流れる船場川に接する。方形の枡形門ではなく、変わった形をしていた。

清水門跡(外郭)

清水門跡(外郭)

鷺の清水井戸。石組み井戸の上に井戸屋形が建てられている。清水門の外門の内側にあり、赤松義村の時代(1520年ころ)からあったと伝わる。

北勢隠門跡

北勢隠門跡

北勢隠門跡を外から

南勢隠門跡

南勢隠門跡

南勢隠門跡を北から。城内を仕切る門があった。

久長門跡(外郭)

久長門跡(外郭)

久長門は中曲輪東側の門で、東向きの高麗門と櫓門を備える枡形門であった。

内京口門跡(外郭)

内京口門跡(外郭)

内京口門跡の現在のようす。学校の門となっている。往時にはこの奥に櫓門を設ける枡形門であった。

総社門跡(外郭)

総社門跡(外郭)

総社門跡西側の石垣

喜斎門跡

喜斎門跡

喜斎門跡の石垣。合坂が見える。

天空の白鷺

天空の白鷺

三の丸から見る天空の白鷺。2009年から2015年の間平成の大修理が行われ、屋根の修理(瓦の交換など)、壁面の修理(漆喰の塗り直し)や耐震工事が施された。

姫路城付近の地図

姫路城が載っている本

わくわく城めぐり ビギナーも楽しめる〈城旅〉34

日本100名城めぐりの旅

日本100名城公式ガイドブック

よみがえる日本の城

Discover Japan 2013年6月号

お城の手帖

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